コネチカット州ニュータウンの小学校で銃乱射事件が起きたとき、大勢の人々は、何かをしなければという気持ちになりました。それで、けが人のために献血をした人がいたり、救援に従事する人たちに無料でランチやコーヒーを提供したレストランもありました。慰めの手紙を書いたり、ただ抱きしめる人たちもいました。子どもたちのために募金をしたり、ぬいぐるみを送ったり、カウンセリングを申し出る人たちもいました。それぞれが自分の性格や能力にふさわしく、自分の持っているもので、自分にできることをしました。

創世記にあるヨセフの物語には、飢饉の7年間に人々を飢えさせないため、ヨセフが手腕を発揮したことが書かれています(創41:53-54)。この時、ヨセフは飢饉が来ることを知っていましたから、前もって備えることができました。ヨセフは、エジプト王パロに不作の年がやって来ると警告しました。するとパロは、豊作の7年間に準備をするように、すべてをヨセフに任せました。ヨセフは神から与えられた知恵と見識を用いて、エジプトの国が飢饉に備えるよう指導しました(41:39)。その後について、「ききんは全世界に及んだ。…ヨセフはすべての穀物倉をあけて…」と聖書は語ります(56節)。彼は自分の家族を助けることまでできました(45:16-18)。

このふたつの話を読むと、神がこの世界を愛しておられるのが分かります。神は私たちをそれぞれ作り変え、備えてくださいます。それは、神が私たちを導くところで人を助けるためです。