ピューリッツァー賞を受賞したユージーン・パターソンの死亡記事を読んで、ふたつのことが印象に残りました。彼は1960年から1968年まで、アトランタ・コンスティチューション紙の編集者でした。当時はまだ、人種差別の撤廃に反対する人が多い時代でした。パターソンはその中で、臆することなく公民運動の支持を訴えつづけました。また彼は8年間、一日も休むことなく新聞のコラムを執筆しつづけました。数にして2922本、来る日も来る日も書きつづけました。彼が社会に与えた影響の鍵は、勇気と根気でした。

同じことが使徒パウロにもいえます。使徒13章~28章には、次々にやってくる困難に立ち向かったパウロの勇敢な姿が記されています。カイザルの法廷に向かう途中、船が難破しました。しかし、彼らは紆余曲折の末、ローマの南までたどり着きました。するとローマにいた多くの主にある兄弟たちは、そこまで迎えにやって来たのです(使徒28:11-15)。使徒の働きの著者ルカは、「パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた」と記しています(15節)。それから2年間、パウロは囚人でしたが自費で借りた家に住むことをゆるされ、「たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」と記されています(30-31節)。

イエスに従うものはみな根気強く、勇気を与え、また受けることができます。主は今日、私たちを用いて、互いに励まし、強め合うことができるようにしてくださいます。