巨大な敵がのしのしと、エラの谷に向かってきます。身の丈およそ3メートル。青銅製のうろことじのよろいが、陽光を受けてちらちら光ります。投げ槍の柄は機織りの巻き棒のような造りで、空中で回転しながら遠くの標的を正確に射抜くことができます。ゴリヤテは無敵に見えました。

しかし、ダビデは知っていました。ゴリヤテがいかに巨人であろうと、その力がいかに強大であろうと、生ける神にくらべれば、ちっぽけなのです。ゴリヤテは生ける神の陣を挑発しているのですから(Iサム17:26)、ダビデは自信をもって彼の前に立ちました。羊飼いのいでたちで、杖と5つの小石と石投げという武器だけを手に…。ダビデの自信の源は、何を持っているかではなく、誰がともにいてくださるかでした(45節)。

今、あなたの前に立ちはだかる「ゴリヤテ」とは、いったい何でしょう。職場の危機的な状況、経済的な困窮、または人間関係の破たんでしょうか。どれも、神と比べれば小さいものです。神の手におえないほど大きなものはありません。チャールズ・ウェスレーは賛美歌にこう書いています。「信仰、偉大な信仰よ。主の約束だけを見つめ、不可能を笑い飛ばし、『それは成る』と高らかに叫ぶ。」神はみこころによって、必ず救い出してくださいます。しかも、まったく思いがけないかたちで。