何年も前、私は杖のコレクションをしているとエッセーに書きながら、いずれは杖を卒業して歩行器になるかもしれないと思っていました。そして、ついにその日が来ました。腰の問題に末梢神経の障害が加わって、三輪歩行器を押して歩くことになったのです。ハイキングや釣りなど、大好きだったことができなくなりました。しかし、この身体の制約は、それが何であろうと神の賜物です。そのことを今、学ぼうとしています。そして、この賜物を用いて、神に仕えていかなくてはなりません。これは、すべての人に言えることで、制約が肉体、情緒、知性のどこにあろうと同じです。神は弱さの中に現れるので、自分は自らの弱さを誇ると、使徒パウロは大胆にも語っています(Ⅱコリ12:19)。

いわゆる自分のお荷物をパウロのようにとらえるなら、日々の営みに自信と勇気が与えられます。文句を言ったり、自己憐憫に陥ったり、現実逃避したりせずに、神のみこころのために自分をささげましょう。神にどのようなご計画があるのか、誰にも分かりません。しかし、心配は無用です。今日の仕事は、あるがままを受け入れ、足るを知ることです。神の愛、知恵、そして摂理の中にあって、この瞬間は、この上もない最善の時なのですから。