世界中には2億4千5百万台の防犯カメラが設置され、その数は毎年15パーセントずつ増えているそうです。それに加え、膨大な数の人々が、誕生祝いから銀行強盗に至るまで、日々スマートフォンで写真を撮っています。安全強化を支持しようが、プライバシーの侵害を非難しようが、現実はみな、カメラだらけの世界で生きているのです。

しかし、ヘブル人への手紙によると、神と関係を結んでいる人は、カメラで撮られる以上に自分が暴かれると語っています。神のみことばは、鋭い両刃の剣のように、私たちの最も深い場所まで達して、心のいろいろな考えやはかりごとを判別してしまうからです (ヘブ4:12)。聖書は、「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです」と警告しています(ヘブ4:13)。私たちは、自らの心の内にあるものについて、神に対して説明責任を負っています。

私たちの救い主イエスは、私たちと同じ弱さや試練を経験されながらも、罪を犯されませんでした。ですから、私たちは「あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づ」くことができます(15-16節)。神を恐れる必要はなく、安心してみもとに行き、恵みをいただけます。