Category  |  イエスを追い求める

心から

有能なスポーツ選手が情熱を燃やし、技を競ってフィールドで戦っている姿は魅力的です。そこには試合に対する彼らの思いが表れています。一方で、長いシーズンが終わりに近づいたころ、優勝争いから完全に脱落したチームは消化試合を戦います。そんなとき、選手のプレーに熱い思いを感じられないことがあります。すると、良い試合を期待し、料金を払ってスタンドにやって来たファンはがっかりです。

私たち一人ひとりにとって、情熱は人生の大切な要素です。主にどう仕えているかを見れば、その人の主に対する姿勢は明らかです。使徒パウロによると、主に仕えることの中には、各々の日々の仕事が含まれており、日々の仕事にどう向き合うかは、私たちがどう主に仕えているかを示しています。つまり、「うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい」と教えています(エペ6:6-7)。

このみことばの要は、「心から」だと思います。天におられる父なる神は、私を深く愛してくださり、ご自分のひとり子を私のために犠牲にしてくださいました。そのような神に対して最善を尽くさないわけにはいきません。神のために生きようという情熱は「心から」のものです。心からの思いは、自分のためにこれほどまで尽くしてくださった神に、何としても応えていこうとします。

移動図書館

ゲーム機などができる前、私の少年時代のことです。長い夏休みには、毎週やってくる移動図書館が楽しみでしかたありませんでした。地域の図書館になかなか行けない人たちのために、本棚にぎっしり本を詰め込んでやってくるバスです。この移動図書館のおかげで、たくさんの本を読んで夏を楽しく過ごせました。今でも、この移動図書館が私を読書好きにしてくれたと感謝しています。