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園にて

私の先祖は開拓農家でした。土地を切り開いて種をまき、そこで育てた作物で家族を養いました。我が家には、そんな農家の気質が受け継がれています。農家に生まれ育った父は、庭づくりを好みました。私もガーデニングが大好きです。草花を育て、かぐわしい香りも添えて庭を華やがせてくれるバラの世話をするのは、実に楽しいものです。雑草さえ生えなければ、言うことは何もないのですが…。

雑草と格闘するときはいつも、エデンの園のことを思い出します。そこはアダムとエバが神に逆らうまでは完璧な園でした。しかしそれ以来、いばらととげはアダムとエバ、そして庭の世話をしようとする彼らの子孫を悩ますようになりました(創3:17-18)。

さて、聖書に登場するもう一つの園は、ゲツセマネの園です。キリストはそこで苦しまれました。エデンで生まれた罪の因果を何とかする別の方法をくださいと、もだえながら父なる神に懇願されました。しかし結局は、「どうぞみこころのとおりをなさってください」と激しい苦痛を感じながらも、父なる神に自らを委ねられました(マタ26:42)。そのおかげで、私たちは今日、神のおどろくばかりの恵みを受けています。

私たちの罪を雑草を引き抜くように処理してくださる主に、どうか自分の身を委ねることができますように。

全てを与える

アメリカ大統領の就任演説でジョン・F・ケネディーは、「国家が君のために何をするかではなく、君が国家のために何ができるかを問いなさい」と、アメリカ国民を鼓舞しました。それは、自分たちの人生を他の人のためにささげて仕えようという、古くて新しい呼びかけです。その言葉は、第二次世界大戦で自国に仕えた人々の子ども世代の心を動かしました。

俊足チーター

アフリカに生息するチーターは、走り出してすぐに時速112キロに達しますが、長距離走は苦手です。BBC放送のニュースによると、ケニヤ北東部にある村の男性4人は、2匹のチーターと6.5キロ走って、チーターに勝ったそうです。

確かな選択

父は先祖を拝む文化の中でイエスを信じた人でしたが、90歳になって人生の最後を迎えたとき、次のように言いました。「私の死後、教会の葬儀以外のことはしないでくれ。どんな供養もダメだ。私の命はイエス・キリストの御手の中にあったし、私の死もまたそうだから。」

行動せずに いられない

キング牧師が1963年に率いた公民権運動の中でも歴史的な「ワシントン大行進」に、当時23歳のジョン・ルイスが参加しました。半世紀後、今やアメリカ合衆国下院議員となったルイスに、キング牧師の演説「私には夢がある」が与えた影響について、ジャーナリストのビル・モイヤーズが尋ねました。ルイスは答えました。「あの演説を聞いたあと、何も無かったかのように元の生活に戻ることはできませんでした。何かをせずにはいられなかった。とにかく行動を起こさずには…。良い知らせを伝えずにはいられませんでした。」

手を 引きなさい!

子どもの頃、リンゴ食い競争に出たことがあります。手を腰の後ろに回して、さおにつるされたリンゴに噛みつき、それを口にくわえてゴールするというものです。手が使えないのでなかなか難しく、手が動くことがどれほど重要か思い知らされました。私たちは食べたり、挨拶をしたり、そのほか生活のあらゆる場面で手を使います。

神に託す

コリー・テン・ブームは、第二次世界大戦後に育った世代のクリスチャンにとって英雄的存在でした。彼女は、ナチス占領下のオランダのおぞましい時代を生き抜きました。その後生還し、神を信じ神に頼って生き抜くことを語り、敬虔(けいけん)と英知という遺産を後世に残しました。

白旗を振る

最近、南米のある教会の礼拝の様子を映像で見ました。牧師は教会員たちに、自分の人生のすべてをイエスに明け渡しなさいと熱く語っていました。そのとき、教会ではまったく見たことのないことが起こりました。ひとりの教会員がポケットから白いハンカチを取り出し、手を上げてそれを振り始めました。すると別の人たちも次々とハンカチを振って、涙を流しながらキリストに「白旗を揚げる」(完全に降伏する)ことを表明しました。

柔和な者は幸いです

柔和という言葉を表す英単語は、弱いという意味の英単語と音が似ているために、そのふたつに関連性があるように考えられてきました。一般的な英英辞書は柔和の語意を「従順すぎる、簡単に押し付けられる、いくじのない、元気のない」などと定義します。それなので、なぜイエスは、「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから」(マタ5:5)と言われたのだろう、と疑問を持つ人たちがいます。