Category  |  試練

賛美の谷

詩人ウィリアム・カウパーの人生は、うつとの戦いでした。自殺未遂で精神病院に入れられましたが、そこでキリスト者の医者と出会い、生きて働くキリストを信じました。まもなく牧師で賛美歌作者のジョン・ニュートンと知り合い、賛美歌集を作ることを勧められました。彼の作品の一つは「み神のみわざは」(新聖讃美歌84番)です。カウパーはこの歌で神の御業のくすしさをたたえます。そして、自身もつらい状況にある中で「あらしの波間に神は在す 主にある聖徒よ勇気を持て 黒雲開けて恵みくだる」と歌うのです。

私の必要は主が賄う

マニラの乗合タクシーの運転手ランドは、道端の屋台でコーヒーを一気に飲みました。コロナによるロックダウンは終わり、通勤客が戻ってきました。今日のスポーツイベントは稼ぎ時です。失った収入を取り戻せる、もう心配しなくていいのだ、と思いました。

秩序の神

セスは家にあった薬を全部飲みました。崩壊家庭で育った彼の人生は混とんそのものでした。父は自死するまで妻を日常的に虐待していました。セスは人生を終わらせようと思ったのです。しかし、「死んだらどこに行くのだろう」という思いが頭をよぎりました。そして、神のあわれみによって命を取り留め、やがて友人と聖書を学び、イエスを自らの救い主に迎えました。彼が神に引かれた理由の一つは、被造物の美と秩序に気付いたことです。「そこに美があります。誰かがこの全てを造ったのです」と語りました。

平和の御使い

ノラは平和的なデモに参加しました。正義を求めて抗議する人たちは、計画どおり、静かに行進しましたが、よそから2台のバスが来て扇動者たちが降り立ち、暴動が始まりました。ノラは失望して立ち去りました。彼らの善意は灰に帰したようでした。

イエスによるルネサンス

レオナルド・ダビンチはルネサンスの巨人で多大な業績を残しました。しかし日記には「私たちの惨めな時代」と記し、人は「どんな記憶も残さず」死ぬと嘆きました。また「生き方を学んでいると思う一方で、死に方を学んでいた」と述べました。本人が思う以上に真理に近かったようです。

遺すものは何か

大恐慌時代に砂嵐が甚大な被害を与えた頃、カンザス州のジョン・ミルバーン・デイビスはずいぶんな散財をしました。一代で大富豪になり、子どもはなく、地域の福祉や経済に貢献することもできましたが、亡き妻と自分の等身大の石像11体に多額の費用を費やしました。

神の偉大な力

第2次世界大戦中の1945年3月、「ゴースト・アーミー」はライン川横断に成功し、連合軍の拠点が西部戦線にできました。彼らはもちろん幽霊(ゴースト)ではありません。米陸軍本部の第23特殊部隊の兵士たちです。彼らは空気で膨らませた偽物の戦車を用いたり、砲兵隊や車両の効果音をスピーカーで流したりして、1100人の部隊が3万人の大軍であるかのように偽装しました。実数をはるかに超える巨大な部隊と思わせて敵を恐怖に陥れたのです。

敵を愛する

南北戦争の終結後、戦いが憎しみを生んだがゆえに南部を寛大に扱うべきだ、とリンカーン大統領は言いました。理由を尋ねられると、「敵を友とするなら、敵という存在は消滅するのです」と答えました。約100年後、公民権運動指導者キング牧師はこの言葉を取り上げ、「これは贖(あがな)いの愛の力だ」と語りました。

塀の上に天使が

ウォレス・ブラウンと妻のメアリーは、衰退した教会を牧するため、英国バーミンガムの貧困地区にやって来ました。教会と隣接牧師館の敷地は、何とギャングの基地にされていました。彼らは窓に投石され、垣根に放火され、子どもたちを狙うと脅されました。嫌がらせは数カ月続き、警察はなすすべがありませんでした。