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叱責

最近、教会の人に厳しいことを言わなければならなかった、とシェリーは語ります。その人が人を傷つける態度や行動をとり続けるのを看過できなくなったからです。緊張しましたが、実のある会話でした。実際、ふたりの絆は強まりました。そして後日、謙遜をテーマにした祈り会を共に主催しました。

はっきり言うという親切

親しい友人が私の目を見て「君は時々実際よりも敬虔に聞こえるね」と微笑みながら言いました。私はドキッとしましたが、声を立てて笑いました。優れた洞察力です。敬愛すべき友人の言葉でなければ傷ついていたでしょう。少々癇(かん)にさわりましたが、彼の正しさを認めざるを得ません。私は信仰について話すとき、わざわざ専門用語を使うようなところがあり、不誠実な印象を与えます。彼は、私のことを大切に思っているので苦言を呈してくれました。自分が純粋に信じていることを嫌味なく伝えられるように、私を助けてくれたのです。

失敗した躾

1年で聖書を!
◆ 詩篇123-125
◆ Ⅰコリント10:1-18
聖書のみことば Ⅱサムエル記13:21-29
 
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、……平安な義の実を結ばせます。―ヘブル12:11

私たちの家は森の中にあるので、日当たりはよくありません。けれども私は、大好きなトマトを育ててみたいと思って苗をプランターに植え、比較的太陽の当たるところに置きました。すると、トマトの茎はどんどん伸びていきます。しかし、喜んだのもつかの間。それは茎が育っていたというよりは、日差しを求めて伸びていただけだったのです。そうと気づいた時には、トマトの茎が自分自身を支えられなくなっていました。支柱を立ててまっすぐに立たせようとしてみましたが、気をつけていたにもかかわらず、絡まった茎のひとつが折れてしまいました。