探求の書シリーズ

悲しみの人イエス ― 主の苦しみと共感が私たちにもたらすもの

「この苦しみは誰にも分かってもらえない……。」そう感じるときがあります。しかし聖書は、私たちの痛みに共感してくださる主がおられると語ります。まことの神であられるにもかかわらず、まことの人となられたイエスは、私たちの経験をご自分のものかのように分かってくださいます。私たちがこの世界で葛藤するとき、「悲しみの人」イエスは慰めを与えてくださるのです。本書を通し、人間として生きられた救い主の愛の深さを知ることができますように。そして、その愛があなたの人生をどのように変えるかを理解できますように。

父の自死とそれからの私

世界中で毎年七十万人近い自死者がいると推定されています。その亡くなったひとりひとりには家族や友人がいます。著者アルバート・シー氏もその一人です。 ここには、遺された人がたどる悲しみや苦しみの道、その只中で神がどのように寄り添い、生きていく力をくださるのかが、正直に丁寧に記されています。

祈りを教えてください

祈りはキリスト者にとって身近なものなのに、分からないことが多いと感じませんか。あきらめずに祈り続けるためには、助けが必要なことも多々あります。そういうわけですから、ひとりの弟子がしたように、「祈りを教えてください」と、イエスに願うところから始めてはいかがでしょう(ルカ11:1)。神は必ず、聖書を通して教えてくださいます。

恵み―神の贈り物

恵み。これはクリスチャンにとって大切な言葉です。神からの最高の贈り物である恵みの意味を本当に理解すれば、それが福音、つまりイエスが私たちの救いのためにしてくださったことの中心であると分かります。エペソ人への手紙2章1節から10節を共に学び、このみことばに示された素晴らしいメッセージを受け取りましょう。

驚くべき救い主の御名

名前は、人間関係において重要な意味があります。そして、神との関係においては名前がさらに重要です。著者ビル・クラウダーは、イザヤ書9章6節に記された「不思議な助言者」「力ある神」「永遠の父」「平和の君」という神の御名に注目し、これらの御名から、神はどのようなお方なのか、私たちが神を信頼できる根拠は何なのかを解き明かします。

さあ、祈りましょう―聖書のみことばで神に語りかける

聖書の祈りは、神からのすばらしい贈り物です。私たちは、イエスやモーセ、ダビデ、ヨブ、サムエル、イザヤ、エレミヤ、マリヤ、ペテロ、パウロ、その他の大勢の人たちが、どのように神に祈ったかを知ることができます。聖書の祈りは、私たちの祈りを助けてくれます。イエスも十字架の上でダビデの祈りを祈られました。
聖書の祈りを心から祈るなら、私たちは神のみそばに引き寄せられます。聖霊がいのちの息吹を、私たちの祈りと人生に与えてくださいます。さあ、祈りましょう。

イエスが描いてくださった祈りのための青写真

私たちと神との関係で、最も大きな問題点のひとつは、私たちの自己中心です。自分なりの方法で神により頼むことができる、と思っていることです。この身勝手な神頼みは、私たちの祈りに表れます。祈る人はたくさんいますが、神のみこころにそって祈る人は、そう多くはありません。神が望んでおられるように祈ること、これが、このテキストが取り組んでいることです。「主の祈り」は、最もよく知られた祈りです。何度も口ずさまれてきましたが、ほとんど理解されないままでした。ゴードン・コンウェル神学大学院の説教学の教授であり、聖書学者としてもよく知られているハドン・ロビンソンが、この混乱した状況にメスを入れ、祈りの青写真はイエスによって描かれていることを明らかにしました。この青写真は、二千年前そうであったように、現代の私たちにも適切な示唆を与えてくれます。
(A5版 40ページ)

神の臨在の中で―神と一緒に過ごす時間

日々の生活に追われて、神とともに過ごす時間がなおざりになってしまうことがあります。 聖書を読み祈るという習慣をつけていくためにはどうすればよいのでしょう。デニス・フィッシャー師が、実践的なアドバイスをしてくれます。これを読むならきっと、デボーションに新鮮さがよみがえり、あなたとの対話を待っておられる神と再びつながることができ
るでしょう。

マグダラのマリヤ―イエスに育てられた信仰の軌跡

福音書に登場する人物の中で、マグダラのマリヤの物語ほど、すっかり変えられた人生、信仰による堅い絆、そして献身的な愛を伝えるものはないでしょう。

マグダラのマリヤの生き方から、痛んだ心がイエス・キリストの愛を通して、希望、活力、そして平安を得ていくことを味わいましょう。

神が共におられる―クリスマスの約束

それが何であれ、あなたが下す一つひとつの決断は、その後の人生を決めていきます。では、賢明な選択とは何でしょう。「神が共におられる」の中で、アリス・マシュー博士は、ふたりの女性の決断を検証しています。エバとマリヤの決断は、時代を超えて、多くの人の人生に影響を与えました。
どうぞ、この本をお読みいただき、神のみこころにかなった希望に満ちた人生の選択をしてください。

遺されたあなたのために―家族の自死のあとで

自死は、多くの人にとってことばに出しにくいものであるとともに、人生の一こまです。30秒にひとり、世界のどこかで誰かが自らの手で生を終わらせています。その人は、誰かの子どもであり、親、伴侶、または友人です。たとえ、身近に自死した人がいなくても、その痛みと格闘せざるをえない人を私たちは多く知っています。

※本書を読み進める際に、これがカウンセリングや自助グループに代わるものではないことを心に留めて下さい。家族に自死された後の特別な悲しみは複雑ですから、遺族は助けになるものなら何でも利用することが必要です。
監修翻訳  ナインの会(クリスチャン自死遺族自助グループ)

(A6版 44ページ / PDFをダウンロードしてお読みください。)

自信をもって競争社会を生きる

イギリスの哲学者であり、作家、そして無神論者の故バートランド・ラッセル氏は、こう言いました。「人生とは、競争だ。自分が犠牲者にならないためには、むしろ、罪人となってでも戦う競争なのだ。」また、実業家のデイビッド・サーノフ氏に言わせれば、「競争は最高の製品を生みだし、最低の人間をつくる」のだそうです。それでも、19 世紀初めのアメリカ人政治家、ヘンリー・クレイ氏は、「人類の営みに作用するあらゆる人力の中で、競争力ほど偉大なものはない」と語っています。

人生と競争について語るこれらの言葉には、確かにうなずける部分があります。それでは、クリスチャンが強くたくましい競争者でありながらも、キリストを信ずる者の名に恥じない行動をすることは可能でしょうか。この問題を、「デイリーブレッド」の寄稿者の一人であるデイヴ・ブラノン氏(Dave Branon) に導いていただき、実際の生活に当てはめて考えてみましょう。
(A6版 32ページ)

嵐のときにも ―真理があなたを守る―

ジョー・ストウェル師は、牧師、ラジオ番組の講師、またムーディー聖書学院の院長として奉仕してきましたが、その中で、多くの傷ついた人たちを助け、人生の旅路を歩く力をつかむことができるように教えてきました。彼は、神のみことばが時を超えて私たちを教えること、また、そのみことばを基盤にすることこそ現実主義であると再確認しつつ、希望と信仰のメッセージを語っています。私たちもまた、素晴らしくも険しい人生の旅路を歩むとき、このメッセージを共有することができます。この冊子は、著書「The Upside of Down」(ディスカバリーハウス社刊)からの抜粋です。読者のみなさんも、きっと励まされることでしょう。
(A6版 32ページ)

ことばが見つからないときに

箴言に「愚か者でも、黙っていれば、知恵のある者と思われ、そのくちびるを閉じていれば、悟りのある者と思われる」(17:28)とあります。つまり、「口を開いて無知を万人にさらすより、むしろ無言でいるほうがまし」ということです。
しかし、自分の評判を守るより、人のことが大事なときがあります。傷ついた友人をなんとかして慰めたい、どうにか励ましたいと思うことがあります。
著者ロイ ・クラーク氏は、ひとりの人間として、また牧師として、このような場面に幾度となく遭遇してきました。その経験から導き出された示唆は、きっと私たちに役立つことでしょう ――ことばが見つからないときに。
(A6版 32ページ)

赦すこと、赦されること

多くの人は、「赦し」とは、無条件の恩赦を与えることであり、相手を愛するためには赦さなければならないと思っています。一方で、「赦し」は憤激や遺恨から自分を解放する手段なので、自分のために赦しなさいと言う人もいます。ところが、これらの「赦し」は、決して肯定的な結果を生んでいません。「赦し」は、クリスチャン生活で最も誤解されている教えです。聖書は、「赦し」について、どう語っているのでしょう。この冊子から学んでみませんか。(A6版 48ページ)

自分を好きになる -聖書は何と言っているか-

自分を好きになり、自分らしさを大切にする、という考えは聖書に反する、という人がいます。一方で、聖書こそそうするべきだと教えている、と確信している人もいます。

実際、自分を好きになり、自分らしさを大切にすることは、聖書が授ける知恵によってでも、そこから逸脱してでもできます。というのは、自尊心には、高慢な自尊心と謙遜な自尊心の両方があるからです。

この冊子は、人が神の視点で自分を見ることができれば、自分を尊び、自分を大切にすることができる、という確信に基づいて書かれています。神がさせてくださるなら何でもできると信じている人たちこそ、もっとも健全でもっとも現実的な自己イメージを持っている人たちです。(A6版 48ページ)

なぜ信じられるのか~10の理由

信仰についての疑問に答える

現代人はスピリチュアルというものに興味をもっています。霊の世界に対する関心は、昔からありました。しかし、それによる弊害も起こっています。何を信じるかということは、小さな問題ではありません。なぜなら、人の運命を決定づけてしまうからです。
私たちは何を信じればよいのでしょう。誰を信じればよいのでしょう。これらの答えによって、私たちの人生は方向づけられていきます。神は存在するのでしょうか。聖書は信じるに値するのでしょうか。きちんとした証拠をもとに、これらを論じることはできるのでしょうか。この問題を一度は考えてみるべきです。
この冊子は、この問題に関する信頼に値する証拠を集めたものです。その証拠は信頼に値するだけでなく、永遠の扉を開く鍵を指し示しています。もしあなたが、信じるに値するものを捜しているなら、この冊子を読んでみてください。そして、これらの証拠の信憑性について考えてみてください。
(A6版 32ページ)

沈黙を破るために ―主のめぐみを分かちあう

私たちの人生においてもっとも大切な方について人に語ろうとするとき、なぜ最初の言葉がなかなか出てこないのでしょうか。なぜ、私たちが聞いた喜ばしい知らせを、他の人に伝えることをためらってしまうのでしょうか。自分が見いだし手に入れた、死に打ち勝つ方法、永遠のいのちを得る方法、罪を赦していただく方法、神の永遠の素晴らしさを探究する方法を他の人々に伝えるために、すなわち、自分が最もしたいと願っていることをするために、私たちは一体どうしたら良いのでしょうか。そのガイダンスとなるものはないのでしょうか。
(A6版 44ページ)

確信を持って祈る ―失望を希望にかえる祈りとは何か―

何かに失望すると、クリスチャンでも祈らなくなります。自分の人生をめちゃくちゃにした人に対して怒りや恨みを感じながら祈るのはむずかしいでしょう。神ご自身に失望させられた、と感じているならなおさらです。

しかし、神は、そんな私たちの気持ちをご存知です。同時に、そのような私たちでも恵みの御座に近づくことができるように、道を備えてくださいました。デービッド・エグナーは、この冊子の中で、神に答えていただけるような祈りができないと嘆いたり、神を信じつづけることができなくなったりした人々に、助けの手を差し伸べています。(A6版 48ページ)

津波のあとで

― 自然災害に襲われたクリスチャンが、聖書のみことばを通して考えたこと

この冊子の著者アジス・フェルナンド師は、国際的に信望の厚い聖書解説者であり、神学者です。また、スリランカのYouth For Christ (ユース・フォー・クライスト) の総主事でもあり、デイリーブレッド スリランカの理事でもあります。
私は彼を友として、また主にともに仕える同労者として尊敬しています。彼の神に対する愛、家族への愛、同僚への愛、そして伝道している人々に対する愛は、誰の目にも明らかです。
2004 年12 月26 日、彼の愛する母国スリランカを大津波が襲い、壊滅的な被害を与えました。フェルナンド師が神を愛する一市民としてまとめた考えが、ここに書かれています。(A6版 32ページ)

本当の愛 ―コリント人への手紙 第一 13章4~8節より―

誰もが愛を探し求めています。すべての人に愛が必要だと言います。しかし、愛とは何でしょう。本当の愛とは、どういうものでしょう。仮に愛を見つけたとして、どうやってそれが本物だと分かるのでしょう。

世間は、愛は生まれては消える感情で、言葉では説明できないと言います。しかし、聖書は時代を超えて語りかけ、朽ちることのない愛の真理を伝えます。

牧師であり聖書の講解説教の講師であるビル・クラウダー師は、私たちがコリント人への手紙第一13章4~8節を新鮮な気持ちで学べるように、この冊子を書きました。1980年代、「愛はかげろう。つかの間の命。」と歌ったグループがありました。しかし、クラウダー師は、聖書が真実だと信じるなら、愛は確かなものだと明らかにしてくれます。 (A6版 48ページ)

違いを乗り越える

何が正しいのか一致できないとき、どうすればよいのだろう。

自分が正しいと信じていることを、自分とは考え方の違う人たちを攻撃することなく主張できるでしょうか。または、相手に合わせてばかりいて、結局はキレてしまうこともあります。心に憤りを感じたら、それは何を意味しているのでしょう。

著者は、このような問題について聖書から学び本冊子を書きました。この学びによって、著者の人間関係に対する考え方は劇的に変化しました。それだけでなく、主に対する態度も大きく変わりました。この冊子が、読者の皆様のお役に立つよう祈ります。(A6版 48ページ)

心配ごとを神にゆだねる

心配ごとがあるなら、こう祈りましょう。「神よ、もしそれが私には変えられないことなら、それをそのまま受け入れる安らかな心をください。また、私に変え られることなら、変えようと踏み出す勇気をください。そして、その違いを見定めることができるように、あなたの知恵をください。」多くの人たちは、このよ うに祈って平安を得てきました。この祈りは、聖書の真理に基づいています。しかし、聖書はもっと多くのものを私たちに与えてくれます。神は、「心配ごとが あるなら、それをわたしのところに持ってきなさい。」とおっしゃっています。そして聖書は、この神がどのようなお方なのかを雄弁に語っているのです。

この冊子の著者であるデービッド・エグナーは、人を疲れ果てさせる不安とは一体何なのかを明らかにしています。また、神は、人が心の平安や勇気、そして知 恵を、ご自分の中に見出すように願っておられる、ということを、人が心から信じるための基盤についても語っています。(A6版 48ページ)

お金の話 ―イエスのたとえ話より―

将来のために十分な蓄えができるか不安だ、または、お金のことを誰かに教えてほしいと思ったことはありませんか。優秀なフィナンシャル・プランナーよりも知恵に満ち、誰よりも私たちのことを心配してくださるイエスが、お金について何と語られたかをともに学びましょう。
(A6版 48ページ)