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赦してもらえない時

刑務所にいる間にキリストに出会った、というふたりの男性と食事をしました。若い方の男性は、自分が盗みを働いた家の人たちから赦してもらえないことにがっかりしていました。

語り伝える

アメリカの南北戦争(1861-1865年)が終わったのち、北軍のルー・ウォーレス少将は、当時のニューメキシコ準州の知事になりました(ニューメキシコはまだ州として認められていませんでした)。彼はその仕事を通して、多くの人たちと関わりますが、その中にはビリー・ザ・キッドやパット・ギャレット保安官など、西部開拓時代の歴史小説に登場する人たちもいました。ウォーレス少将はこの地で、19世紀の霊性に最も大きな影響を与えた小説とも評される、『ベン・ハー: キリストの物語』を執筆しました。

募る憎しみ

コーリー・テン・ブームの家族は、第二次世界大戦下のオランダで時計店を営みながら、ユダヤ人の家族を守るために活動していました。やがて一家全員がナチスの強制収容所に送られ、父親は10日後に亡くなりました。姉のベッツィーも収容所で死にました。ベッツィーとコーリーは同じ収容所にいて、ベッツィーの信仰は、コーリーの信仰を強くしてくれました。その強い信仰のおかげで、コーリーは収容所の看守だった冷酷な男たちを赦すことさえできました。

容赦なし

我が家の車のあだ名は、「せっかち君」です。日曜の朝は、ことさら気ぜわしくなります。教会で必要なものをすべて車に積み込んで、助手席に乗り込みます。そしてドアを閉めるやいなや、夫のジェイが車庫から車を出すのですが、私がまだごそごそしているうちに、シートベルトの警告音が鳴り始めます。「お願いだから、ちょっとだけ待って」と言っても、答えはもちろん「ノー」です。シートベルトを装着するまで、警告音は容赦なく鳴りつづけます。

暴露したい心

アメリカの私立探偵は、ドアを叩いて出て来た人にバッジを見せ、「私たちがここに来た理由をご説明する必要はありませんね」と告げるそうです。大抵の場合、相手は唖然として「どうやって分かったんだ」と答え、ずっと昔に犯し、隠しつづけてきた昔の犯罪について話し始めるそうです。ロン・ロゼンバウム氏は、スミソニアン誌に次のように記しています。「良心とは人間の根幹にあるパワーだ。心は隠しごとを暴露したくてうずうずしている。このエネルギーに出口を与えればよいのだ。」

ユーリカ石

南アフリカの農村で15歳のエラスムス・ジェイコブズが、太陽の光に輝く石を見つけました。1867年のことです。近所の人が話を聞きつけて、その石を買いたいと言ってきました。エラスムスの母親は、その価値も知らず、「欲しいのなら差し上げます」と言いました。

罪をやっつけた正義の味方

少し前ですが「あなたが罪を犯さないでいられた、一番長い期間とはどのぐらいですか。一週間、一日、それとも1時間ですか」と尋ねられました。なかなかきびしい質問です。正直な人なら、罪を犯さなかった日は一日もないと言うでしょう。しかし、この一週間を振り返って、神に「〇〇の罪を犯しました」と告白したことがあるかというと、それは無いかもしれません。そういう場合でも、この一週間、思いでも行いでも、まったく罪を犯さなかったと言うなら、それは自分を欺いていることになります。

立ち直る

トリニティー大学のスカッシュチームは大学スポーツ史上最長の252連勝を誇っていましたが、2012年1月18日、エール大学に破れ、この記録に終止符を打ちました。14年ぶりの敗戦の翌朝、コーチのポール・アサイアント氏は、「さあ、切り替えてまた頑張れ」というメールを友人から受け取りました。そのメールを送った有名なアメフトのコーチは10日後、全米で最も人気のスポーツイベント、NFLスーパーボウルで敗北しました。私たちはみんな、それぞれの敗戦に耐えなければなりません。

両手を広げて

ベティ・フォード元アメリカ大統領夫人の葬儀で、息子のスティーブンはこう言いました。「母は愛と慰めに満ち、誰よりも先に手を差し伸べてくれる人でした。19年前、アルコールに溺れていたとき、母から最も素晴らしい贈り物をもらいました。それは、どのようにして自分の人生を神に明け渡し、神のあわれみを受け取ればよいのか、という教えです。私は母の腕の中で、自分が帰還した放蕩息子であると感じました。母を通じて神の愛を体験しました。それは素晴らしい贈り物でした。」

ある青年が父親に財産の分け前を求め、放蕩し、不面目にも帰宅したというイエスのたとえ話があります。そこで驚かされるのは、その父の反応です。聖書は語ります。「ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした」(ルカ15:20)。この父親は、諭したり、罰したりするのではなく、祝宴を催すことで、自らの愛と赦しを息子に表しました。何故でしょう。それは「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかった」からでした(24節)。

スティーブン・フォードは、追悼の辞をこう締めくくりました。「母さん、神が示されたように、みんなを愛してくれてありがとう。父さんと僕たち子ども、そしてアメリカ国民を愛してくれてありがとう。」

大きく両手を広げ、ご自分に立ち返るすべての人を受け入れてくださった神のように、私たちも人を受け入れ、人に親切にできるように、神に助けていただきましょう。