Month: 12月 2017

心を広く

聖書のみことば:箴言11:17-25

真実な者は自分のたましいに報いを得るが、残忍な者は自分の身に煩いをもたらす。—箴言11:17

ある人がめがねを直してもらいに修理屋へ行きました。修理が仕上がると、いくらになるか尋ねました。修理屋は「お代は結構です。サービスですよ」と答えました。

その人はタダで修理してもらっては心苦しいと思い、少しだけでも払いたいと言い張りました。店主はその必要はないと何度も丁寧に断りましたが、ついに声を荒げてこう言いました。「人がたまに気前良くしようとしているのに、どうして邪魔だてするんだ!」

お金にはあまり縁がなさそうなこの修理屋の言葉は、短いながらも強力なインパクトがあります。少しばかり気前良くすることの中から、喜びや幸せが生まれます。彼の態度は、「真実なものは自分のたましいに報いを得るが、残忍なものは自分の身に煩いをもたらす」(箴11:17)のみことばを映しています。またW.F. アドニーは、「慈悲深さは自己犠牲の痛みから始まります。しかしすぐに内側に平和と喜びの実を結びます」 と言いました。

人に親切にし、気前良くしましょう。良いことをすれば報いがあるといずれ分かるでしょう。そうすれば、広い心を持てるようになるでしょう。

広い心を持つとは、手を差しのべてキリストの愛を実践することだ。

どういうこと?

アンドリュー・チートルは海で携帯電話を紛失しましたが、1週間後、グレン・カーリーと名乗る漁師から携帯電話を見つけたと連絡がありました。釣り上げた重さ11キロのタラのお腹から出て来たといいます。乾かしてみたら起動したそうです。

クリスマスの伝統

皆さん、ご存じですか。クリスマス時季に見かける杖の形の紅白のキャンディーはドイツのケルンが発祥地です。ポインセチアはメキシコ原産です。クリスマスケーキでおなじみのブッシュド・ノエルの「ノエル」はフランス語、ヤドリギは英国の伝統です。

心躍る希望

レジナルド・フェッセンデンは、長年、ラジオの発明に没頭していました。他の科学者は、それを型破りで実現不可能なアイディアだと言っていましたが、1906年12月24日、フェッセンデンは、ラジオで音楽を流す最初の人となりました。

ともにいる神

マタイの福音書でキリスト降誕の記述を読んでいると、15世紀のケルト人、聖パトリックの賛美歌が心に浮かびました。「キリストは私とともに、キリストは私の前に、私の中に、私の下に、上に、右に、左に…。」それは暖かな抱擁のようで、私は決してひとりではないと再認識しました。

たましいの聖夜

多くの人に慕われている「きよしこの夜」が世に出るずっと前に、ポーランドの司祭アンゲルス・シレジウスが次のような詩を書きました。

クリスマスを過ごす家

ある年のクリスマス、私は出張で辺境の地にいました。黒海から吹き付ける寒風の中、とぼとぼと宿舎に戻り、本当に家が恋しくなりました。しかし、部屋の扉を開けて驚きました。ルームメイトの趣味の最新作が完成したのです。それは、きらめく光の粒をまとった高さ50センチほどの陶器のクリスマスツリーで、暗い部屋を照らしていました。一瞬、家に戻ったように感じました。

沈黙を破って

神は旧約聖書の終わりで隠れてしまわれたようでした。ユダヤ人は4世紀の間、戸惑いながら待っていました。神は消極的で無関心、彼らの祈りを聞いておられないようでした。昔、メシヤを約束してくださったことだけが唯一の希望です。ユダヤ人はこの約束にすべてを賭けました。そして重大なことが起こりました。赤子の誕生が知らされたのです。

極端な行い

数年前、混雑するシカゴのユニオン駅で友人の幼い息子が迷子になり、ひどく慌てました。母親は息子の名を大声で呼びながら来た道を引き返し、エスカレーターを駆け上りました。数分が数時間にも感じられましたが、幸い、人ごみの中から息子が現れ、母親の腕の中に飛び込みました。