Month: 8月 2018

主の名を呼ぶ

ニューヨーク市のあるエレベーターで、2016年、死者5名、負傷者51名の事故が起こり、当局は、不測の事態に落ち着いて安全を確保する方法を知らせようと啓発活動をしました。事が起こった場合、やってはいけないことは、自分で何とかしようとすることです。最善の行動は「通報し、落ち着いて待つ」ことです。行政当局は、人々を迅速に救済し、彼らが怪我をしないように最善を尽くすと約束しました。

岩の上の家

友人が数年前に買った家のリビングが沈み、壁にひびが入り、窓は開かなくなりました。手抜き工事で建て増しされ、土台が無いことが分かりました。土台を敷く数か月間の工事の後、完成した家を訪問すると、壁のひびは消え、窓は開きましたが、見た目に違いはありません。しかし土台が肝心ということは明白です。

対人関係の問題

聖書のみことば:ローマ 12:14-21

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。—ローマ12:18

近所のある人が、急によそよそしくなりました。気づかずに何かしたのかもしれません。「何か失礼をしましたか」と尋ねると、素っ気なく「別に」と言われてしまいました。私は、「気まずい関係になりたくはありません。気分を害することを私がしたのなら、おっしゃってください。謝ります」と言ったのですが、ふたりの関係は冷えたままです。

「人間という動物を知るほどに、ペットの犬が可愛くなる」と言った人があるそうです。犬は、忠実で頼りになり、飼い主を喜ばそうと一生懸命です。すぐに赦して忘れてくれます。人間が犬のようだったら、と思いませんか。実際、どんなに努力しても、良い人間関係が持てないことがあります。使徒パウロは、ローマ人への手紙12章18節で、そのような状況について語っています。

この聖書個所には「自分に関する限り」とあります。パウロは、対人関係の問題の中には解決できないものもある、と知っていました。ひとりでけんかはでき ないように、仲直りもひとりではできません。あなたが自分のすべきことをしても問題が解決しないなら、次のアドバイスに従ってください。恨んだり無視を決 め込んだりして仕返しをしてはいけません。善で悪に打ち勝てるよう全力を尽くし(21節)、神に問題を委ねましょう。

対人関係の問題には、ローマ人への手紙12 章の手順で対処しましょう。解決しないならなおさら、このみことばに従いましょう。

敵を征服する最良の武器は愛だ。

忍耐が必要

聖書のみことば:Ⅰコリント13

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。—Ⅰコリント13:4

私が乗る予定の飛行機が、機材の不具合で出発を見合わせていました。初めは15分程 度の遅れと聞かされていましたが、どんどん延びて3時間も待たされました。地上スタッフは、苛立った乗客たちへの対応に走り回っています。夜が更けてくると、人々は荒々しい口調で文句を言いました。遂にはパイロットが出てきて騒ぎを静めようとしましたが、その乗客たちは彼にも食ってかかる始末でした。その様子を黙って見ている私に、隣にいた男性が静かに言いました。「今夜は、忍耐という美徳が必要ですね。」

日々の生活はいらいらすることの連続かもしれません。腹立たしいことさえあります。しかし、「堪忍袋の緒が切れる」という体験は、多くの場合、相手に失望したときに抑えられない自己主張の現れです。一方、聖書に描かれている真実の愛は、自己犠牲です(ヨハ15:13)。それは、人に対する忍耐という形でも表されます。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。…礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、…」(Ⅰコリ13:4-5)とある通りです。真実の愛は、自分の都合を脇に置いてキリストの模範に従います。

そんなことはできないと思いますか。そのとおりです。自分の力ではとてもできません。けれども、神の助けを祈り求めるなら、苛立たしいことにもじっと我慢して、神の愛を映し出すような態度で相手に接することができます。

堪忍袋の緒が切れそうになったら、神がどれだけ忍耐しておられるかを思い出そう。

よいコミュニ ケーション

聖書のみことば:エペソ4:25-5:1

おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。—エペソ4:25

ある少年の母と再婚した男性は、新しい息子とのコミュニケーションに苦労していました。男性は社交的で釣り好きでしたが、少年は物静かな読書家でした。

その男は息子と仲良くなりたいと願い、釣りの旅に彼を連れ出しました。息子は嫌でしたが、直接何と言ったらよいか分からず、「家に帰りたい」と書いたメモを渡しました。ところが、父親はそれを見るとポケットの中に押し込んでしまいました。

釣りをしながらの旅は4日以上続きました。やっと家に戻ると、息子は不満を母親に訴え、自分が渡したメモに父が目もくれなかった、と言いました。すると、母親が答えました。「あなたのお父さんはね、字が読めないのよ。」男性は、そのことを少年に打ち明けていませんでした。

よいコミュニケーションを望むなら、自分の言いたいことを分かっているだけでなく、 その話を聞く相手のことを知らなければなりません。そして、お互いを知るためには、自分の弱さや力の限界を進んで認める態度が必要です。

パウロは、信徒である私たちに、互いに「真実を語りなさい」と熱心に勧めました(エペ4:25)。また「お互い親切にし、心の優しい人となり、…互いに赦し合いなさい」と諭しています(32節)。

これらはキリストに倣(なら)う愛です。それは、安心して語りあえる環境を作り、よいコミュニケーションを育てることができます。

理解しようと耳を傾けた後、愛をもって語りなさい。

痛みを分かち合う

聖書のみことば:ヨブ記16:1-5

喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい—ローマ12:15

ヨブの友人たちを見れば、苦しんでいる人を慰めるための基本とは何かについて、学ぶことができます。慰め上手とは、気のきいた言葉をかけられるかどうかではなく、どれだけ痛む人の気持ちに寄り添えるかです。友人がアドバイスをし始めたとき、ヨブが切望したのは、この種の思いやりでした。

ポール・ブランド博士は、その著書「人間のからだ」の中で、この真理を記しました。 そこにはこう書かれています。「誰が苦しい時に助けてくれたか、と患者や家族に質問すると、不思議な答えが返ってきます。助けてくれたその人が、明るく機知に富んだ応答をする人である場合は非常に少なく、むしろ彼らの心に寄り添って静かにじっと話を聴いてくれ、断言したりアドバイスをしたりしない人です。『分かろうとしてくれた。』『必要な時にそばにいてくれた。』『握ることのできる手。』『とまどいながらも、しっかり抱きしめてくれた。』『共に悲しんでくれた。』これらが、その人たちを表わす言葉でした。」

私たちは、適切なことを言おうとするあまり、態度が言葉よりはるかに雄弁だということを忘れてしまいます。「泣く者といっしょに泣」く(ロマ12:15)のが、いちばん良いときがあります。苦しむ人と共に苦しむ(Ⅱコリ1:3-4)ことが、痛みを分かち合う第一歩です。

同情とは、ふたつの心がひとつの荷を背負っていくことだ。

非凡な人々

聖書のみことば:創世記1:26-31

神は人をご自身のかたちとして創造された。……男と女とに彼らを創造された。—創世記1:27

家具メーカー、ハーマン・ミラー社長のD・J・デプリーと重役のジェームス・エピンガーは、1920 年代の終わり、会社は倒産に向かっていると感じていました。一緒に列車に乗る機会がよくあったので、その長い時間を利用して会社の状況について一緒に考えました。

ある日、彼らは会社の問題点ではなく、家具業界全体の問題点について考えることにしました。15 個の項目が挙がりましたが、そのひとつは彼らの信条に通じるものでした。「手で仕事をするのは平凡な人だ。心で仕事をするのが非凡な、そして優れた人だ。」

デプリーは伝道に熱心なクリスチャンであり、エピンガーは敬虔なユダヤ教徒でしたが、ふたりの結論は同じでした。「すべての人々は神のかたちに創造されたのだから、ひとりひとりが尊い。」今日、ハーマン・ミラー社はその良好な労使関係のために、ビジネス界で一目置かれる存在です。

もし創造主のかたちを映す存在として見つめたなら、人はどれほど違って見えるでしょう。人種や民族、社会層の違いという壁は崩れていくでしょう。

主よ、自分の方が他人より上だと思ってしまうことをお赦しください。罪が自他の存在についての認識 を歪める前は、すべての人間があなたのかたちに造られた特別な存在であり、今もそうであることを忘れないように助けてください。

人の価値は、その人の実力ではなく創造主の実力によって決まる。

愛されていないかも

私は親に対して、典型的な反抗期を送りました。父は既に亡くなっていたので、母は思春期の娘を育てる荒波をひとりで乗り越えていかなければなりませんでした。母が「ダメ」と言うたびに、私の自由や楽しみを奪うなんて、もしかしたら、愛されていないかも…と思ったことを覚えています。しかし今なら、愛しているからこそ、私にとって益とならないことに「ダメ」と言っていたのだと分かります。

信頼を学ぶ

母はいつも「神を信頼しなさい。面倒を見てくださるから…」と言いましたが、高校生の頃の私は「母さん、そんなに単純じゃないよ。天は自らを助くるものを助くと言うだろう!」と言い返したものです。しかし、聖書には「神は自らを助くるものを助く」という言葉はありません。むしろ、日々の必要を神に頼りなさいと教えます。イエスは言われました。「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも(1時間でも)延ばすことができますか」(マタ6:26-27)。