スコットランドの宿屋で、釣り人たちが、夜、談笑していたところ、サケを仕留めた話をしている人の腕がテーブルに当たり、コップが壁に向って倒れました。白いしっくいの壁に、くっきりとシミがついています。その人は宿屋の主人に謝罪して、修理代を払うと言いましたが、壁からシミは取れません。ところが、そばにいた人が「大丈夫だ」と言って立ち上がり、絵の道具をポケットから取り出すと、汚いシミの周りに絵を描き始めました。するとどうでしょう。徐々に、雄大なシカの頭が現れました。何と、その男性はスコットランドきっての動物画家、エドウィン・ランドシーアだったのです。

詩篇51篇を書いたイスラエルの王ダビデは、自分の罪によって恥をさらしました。彼は忠実な部下の妻と情を通じ、部下を死に追いやりました。これは死罪に値します。ダビデは人生を台無しにしたかのようでしたが、神に「あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように」(12節)と嘆願しました。

私たちにも、恥ずかしい過去や、それにまつわる苦い記憶があるでしょう。やり直せるものなら…と思うことが少なくないかもしれません。しかし、神の恩寵(おんちょう)は、罪を赦すだけではなく、失敗を用いて私たちをより良い人間に作り変えてくださいます。神はどんなことも無駄にされません。