私の上司は、ある大学のバスケットボールチームの大ファンです。その大学が全米選手権で優勝したので、部下のひとりがお祝いの メッセージを送りました。ところが、上司は決勝戦のビデオをまだ見ていなかったので、結果が分かってか、拍子抜けだと言いました。しかし、スコアが拮抗しても安心して見ていられるとも言いました。どちらが勝つか分かっていたからです。

明日のことは誰にも分かりません。退屈な日も楽しく充実した日もあります。悩みが果てしなく続くような日々さえあるかもしれません。人生に予期不能の浮き沈みはつきものですが、神の平安に留まることはできるはずです。なぜなら、最後に誰が勝つか分かっているからです。

聖書の最後の書、ヨハネの黙示録は、壮大なフィナーレを垣間見せます。ヨハネは死と悪が打ち負かされた後の勝利の光景を描きます(20:10、14、21:1-3)。神は人々とともに住み(21:3)、彼らの目の涙をぬぐってくださいます。そこには、死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもありません(4節)。苦難の日々は、この約束にしがみつくことができます。死も嘆きもありません。後悔も心の痛みもありません。私たちは、救い主と永遠を過ごします。何と栄光に満ちた祝いの日々でしょう。