ジェシカが子どもを連れて飛行機に乗ると、3歳の娘がぐずり、お腹の減った赤ん坊も泣き出しました。隣席の人が赤ん坊を抱いていましょうと言ってくれ、娘のシートベルトを閉めることができました。彼は自分が若い父親だった頃を思い出していたのでしょうか。赤ん坊にミルクをあげている間、娘と塗り絵をしてくれました。乗継便に搭乗したときも、必要なら声をかけてと言ってくれました。

ジェシカは「この神の計らいには、面食らいました。信じられないほど親切な男性の隣に座るなんて」と言いました。

サムエル記第二9章には、しなくて当然と見なされるのに、意識して親切にした、という事例があります。サウル王と王子ヨナタンが殺された後、ダビデは王位継承者になり得る人をすべて殺すのではないか、と考えていた人たちがいました。ところが彼は「サウルの家の者で、まだ生き残っている者はいないか。…その者に恵みを施したい」と言いました(1節)。そこで、ヨナタンの子、メフィボシェテが連れて来られると、ダビデは彼にサウルの地所を返し、自分の息子のごとく、王の食卓で食事をしなさいと優しく語りました(11節)。

私たちは、神から多大な親切をいただく者なので、自分も意識して人に親切にしようと機会を探していけますように(ガラ6:10)。