車の流れが悪くなって「道路の補修工事は、この前、終わったはずなのに」と思いました。道路工事はなぜ延々と続くのでしょう。「工事完了。完璧な道をお楽しみください」などという標識を見たことはありません。

私の霊性にも似たような問題があります。救われた頃は、いつか信仰が完成して何もかも分かり、きれいに舗装された道を行くようになると思っていました。しかし、あれから30年。未だ「工事中」で完成しません。工事渋滞同様、これにもまた、時にイライラさせられます。

しかし、ヘブル人への手紙10章14節は「キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです」と語ります。イエスの十字架の御業は、既に、完全に、完璧に、私たちを救っています。神の目は、既に完成された、全きものとして、私たちをご覧になるのです。しかし、この世にいる間は未完成という逆説もまた真理です。今は日々、神の姿に似せられた、聖なる姿に練られている最中です。

いつの日か、主にお会いするその時は、イエスのようになっています(Ⅰヨハ3:2)。それまでは未だ「工事中」です。自分に対する主の御業が完了する栄光の日を今か今かと待ち続けています。