アメリカの学校の食堂は、飲食店同様、食事を多めに作ります。弁当を持参する生徒もいて、その日の需要が分からないからです。余ったものは廃棄されます。一方、食べる物にも事欠く、という家庭の子もいます。そこで、余り物をパックに詰めて貧困家庭の生徒に持たせた校区がありました。フードロスと子どもの食事事情という問題を同時に解決しようとしたのです。

フードロスと余剰資金を同一視する人は少ないでしょう。しかし、コリント人への手紙の中で使徒パウロが提案したことは、この校区の取り組みと基本的に同じです。パウロは、コリントの教会の「ゆとり」で、貧しいマケドニアの「不足」を補うようにと勧めました(Ⅱコリ8:14)。彼の目的は、一方が困窮し他方には余剰があるという不平等を無くすことでした。

彼は献金して貧しくなりなさいとコリント教会に教えたわけではありません。ただ、マケドニアの人々を思いやり、出し惜しみしないことを願いました。自分たちが助けてもらう日が来るかもしれないのです。困っている人を見るとき、自分に提供できる物がないか考えてみましょう。額の大小にかかわらず、慈善が無駄になることはありません。