カンザス州の小さな町ネオデシャの高校で、生徒300人が驚く話を聞きました。町とつながりがある夫婦が、この先25年間、ネオデシャ出身の大学生の学費を払ってくれるというのです。彼らは驚がくし、大喜びで、涙ぐむ者もいました。

ネオデシャの景気はひどい状況で、大学の学費は多くの家庭の悩みでした。この寄付は世代をまたいだ大変革を意図します。その夫婦は、寄付が現在の住民を助けるだけでなく、町に転入する動機づけとなり、新しい仕事や活力を生むきっかけになってほしいと思いました。自分たちの惜しみない支援で、町の将来が変わることを願いました。

神は、自分の目下の必要に目を向けるだけでなく、困っている隣人の将来にも配慮した援助を、イスラエルの民に望んでおられました。「もしあなたの同胞が落ちぶれて、あなたのもとで暮らしが立たなくなったなら、彼を……扶養し」なさいと、はっきり命じておられます(レビ25:35)。援助とは、最低限の必要を満たすものを供与することに留まりません。それは共同体の将来を共に考えることです。神は「あなたのもとで生活できるように」と語っておられます。

援助とは、今とは違う明るい未来を希求することです。神の偉大で創造性に富んだ「施し」は、不足に苦しむ人のいない世界を作ろうと私たちを奮起させてくれます。