田舎道でジョギングしていると、野生の七面鳥が2羽、前方にいました。どこまで近づけるかしら。私は足を緩め、止まりました。2羽は、こちらにずんずんやって来ます。成功と思いきや、鋭いくちばしで私の腰とお尻を突こうとしてきました。私が走り出すと、2羽は身体を揺らしながら追いかけてきました。やがて諦めてくれましたが、即座の形勢逆転でした。鳥が先手を取り、獲物がハンターに一変しました。私は鳥を完全にみくびっていましたが、襲われるかもと気付いて逃げ出したのです。

ゴリヤテは、ダビデをみくびって「さあ、来い。おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう」(Ⅰサム17:44)と嘲りました。しかし、ダビデは先手を打って向かっていきました。無鉄砲からではなく、主を信頼していたからです。ダビデが「今日……すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るだろう」(46節)と叫んだとき、ゴリヤテは、どういうことだ、と当惑したでしょう。形勢逆転。額を撃たれたのです。

小動物が人間から逃げる、羊飼いが巨人を避ける、それが自然です。人が問題から逃げるのも自然かもしれません。しかし「自然」で満足ですか。「イスラエルに神がおられる」のです。それならば、御力によって、問題と向き合い、戦おうではありませんか。