そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓についた。—ヨハネ20:3-4

エスが十字架の上で息を引き取られた陰惨な一日が終わり、この世の希望は絶たれたように思われました。群衆やイエスの弟子たちは、このお方の教えが知恵に富み、また素晴らしい奇跡も起きるので驚いていました。しかし、それもたった数年のことでした。イエスはご自分を十字架から救おうとはされず、その生涯は終わりを告げたのです。イエスにはもう何も期待できないと、誰もが思いました。

しかし、復活の朝、希望がよみがえりました。ユージーン・バーナンドの絵に描かれているのは、ペテロとヨハネが墓に駈けつけている様子です。マグダラのマリヤは、夜が明けるや否や友人とともに墓に来ると、その中が空なのを発見し、彼らに告げました。この絵には、墓に向かって走っているペテロとヨハネの複雑な心境が描かれています。彼らの表情には、苦悩と安堵、悲しみと驚き、そして、絶望と驚嘆が混在しています。彼らの視線はしっかりと前方を見据え、その絵を鑑賞する者たちの意識を墓に釘付けにします。彼らは何を見つけたのでしょう。空になった墓です。そうです。救い主は生きかえったのです。

キリストは、今も生きておられます。けれども、私たちの多くは、このお方がまだ墓におられるかのように暮らしています。空になった墓の向こうを見てください。そこにおられる救い主は、復活の力で、私たちの人生を満たしてくださいます。Dave Egner

受難の犠牲者は、復活の勝利者だ。

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