神とは

文化や伝統の影響を受けて、様々な神観が存在しています。神は人格の無い大きな力だという説、背後霊、土地の神、国や民族の神というように影響を及ぼす範囲が限定されているという説、また、神は人の心の産物で、元来存在しないという考え方もあります。こういった考えの中で、キリストを信じる人は自分たちの神をどのような存在だと言っているのでしょう。

ヨハネの福音書3章16節は「神は…」で始まっています。すなわち、神の存在が当然のこととして述べられています。また、神は存在するだけでなく、万物の創造主であると断言しています(創世記1:1)。また、人は神のかたちに創造されたと言うのですから(創世記1:27)、神は人格のあるお方です。これは注視すべきことです。

では、人格のある神とは、どういう意味でしょう。それは、人の気持ちを分かってくださり、心を通わせることのできる神、という意味です。聖書は、「神があなたがたのことを心配してくださる」(ペテロの手紙第一5:7)と語ります。また、人がご自分のもとに来ることを懇願していると述べています(コリント人への手紙第二5:20)。何と素晴らしいことでしょう。

神は人に背かれていたときでさえ、和解の手を差し伸べておられました。私たちは、罪の呪いのもとで絶望する必要はありません。神は自ら人間を救おうと動いてくださいました。

私たちの神とは、そういうお方です。この神を語り告げるのは、何という特権でしょう。

 

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