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Amy Boucher Pye

Amy Boucher Pye

エミー・ブシャー・パイ氏は、北ロンドン在住のライターで講演活動もしています。著作にはThe Living Cross: Exploring God’s Gift of Forgiveness and New Lifeがあります。また、Finding Myself in Britain: Our Search of Faith, Home and True Identityで賞を取りました。英国のWoman Alive Book Clubを運営し、牧師館で家族と暮らしています。ブログ(英語)をwww.amyboucherpye.comまたはFacebookかTwitterの (@amyboucherpye)で読むことができます。

寄稿一覧 Amy Boucher Pye

試練によって強くなる

書類の中から「よくがんばりました!」と書かれたシールが出てきました。目がしみる治療を我慢して、そのシールを誇らしげにシャツに貼った4歳の息子の姿がよみがえります。斜視の治療は辛かったはずです。手術もしました。彼は、両親に見守られ、子どもの素朴な信仰で神に頼りながら、一つ一つの試練を乗り超えました。そして息子はメンタルの強い子に育ちました。

悲しみと喜び

近しい人を1カ月の間に3人も亡くし、アンジェラの家族は悲しみに暮れていました。おいが突然亡くなった後、アンジェラと2人の姉妹は、3日間、台所の食卓にじっと座っていました。動いたのは、骨壷を買い、宅配の食事をし、葬儀に参列した時だけです。しかし、死を悼む間、喜びに浸る時間もありました。それは、末の妹のお腹で順調に育つ新しい命の超音波写真を見た時でした。

大きな愛

受難週の直前、フランス南西部のスーパーにテロリストが押し入り、2人を殺害し、人質を取って籠城しました。その後、皆を解放しましたが、1人の女性だけは人間の盾に残しました。治安当局のアルノー・ベルトラーメは、人質の身代わりとなり、犯人ともみ合い負傷して亡くなりました。

心のオアシス

アンドリューは家族とサファリ旅行にケニアへ行き、低木林の中の小さな湖で、キリン、ウシカモシカ、カバ、水鳥などを見ました。皆がこの命の源である水辺にやってきます。彼は動物が行ったり来たりするのを見ていて、聖書は聖なる水飲み場のようだと思いました。聖書は、知恵や手引きの源というだけでなく、さまざまな状況の人の渇きを癒やし、元気を回復させるオアシスだと思いました。

いのちの水

アンドレアは複雑な家庭に生まれ、14歳で家を出て働き始め、友人と暮らしました。自己肯定感が低く、愛に飢えており、やがて恋人と同棲し、彼の誘いで薬物を使いだしました。飲酒は既に常態化していました。しかし、恋も酒も薬も、心の穴を埋めてくれません。彼女は探し続けました。そして数年後、数人のクリスチャンに出会いました。その人たちは、彼女に手を差し伸べて一緒に祈ってくれました。そして数ヶ月後、ついに彼女を愛情飢餓から救ってくださるお方、イエスに出会ったのです。

良い牧者

教会員の男性が家族を捨てて出ていったと聞くと、ウォーレン牧師は、彼と町で偶然出会って話ができるように祈りました。すると、町の食堂で彼を見つけ、「隣に座っていいですか」と声を掛けました。やがて、2人は語り合い、一緒に祈り始めました。

獅子の穴から出る

タヘアとドーニャ夫婦は、危険を知りながらイエスを信じました。実際、タヘアは目隠しに手錠をかけられて連行され、棄教の罪で起訴されました。裁判の前、二人はイエスを裏切らないと誓いました。しかし、刑の宣告は驚きでした。裁判長はこう言ったのです。「なぜか分らないが、君を鯨と獅子の口から出したい」。タヘアは、神が働かれていると確信しました。さもなくば、裁判長が聖書を引用した理由を説明できるでしょうか(ヨナ2章、ダニ6章)。タヘアは釈放され、その後、家族と亡命しました。

生涯の友だち

英国の詩人ウィリアム・クーパー(1731-1800年)は、自分の教会の牧師で元奴隷商人のジョン・ニュートン(1725-1807年)と友だちになりました。クーパーは、不安とうつ症状に悩み、自死を試みたことも一度ではありませんでした。2人は共に散歩し、神について語り合いました。ニュートンは、目的をもって詩を作ることが良い影響になると思い、賛美歌集の作成を思いつきました。クーパーは『かみのみむねはいともくすし』をはじめ、多くの詩を書きました。2人の友情は、ニュートンが別の教会に赴任してからも続き、クーパーが亡くなるまで、頻繁に手紙のやり取りをしました。

望みと願い

アメリカからイギリスに移り住むと、感謝祭の祝日が、11月の普通の木曜日になりました。週末は特別なごちそうにしましたが、家族や友だちと過ごす休日を懐かしく思いました。そんな気持ちは、私だけのものではありません。祝祭日や特別な日は、大切な人と一緒に過ごしたいものです。そして、祝宴の最中でも、亡くなった人をしのんだり、疎遠になってしまった人を思って祈ったりします。