寄稿者

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Arthur Jackson

Arthur Jackson

アーサー・ジャクソン師はシカゴ地域で28年間、教会の牧師として奉仕した後、2016年秋、夫婦で故郷のカンザスシティーに戻りました。「デイリーブレッド」の寄稿者として奉仕するかたわら、牧師の健全性に寄与する団体であるPastorServeの地域ディレクター、また教会開拓の働きNeopolis Networkのディレクターとしても奉仕しています。

寄稿一覧 Arthur Jackson

イエスのために戦う勇気

西暦155年、棄教しなければ火刑だと脅されたポリュカルポスは言いました。「私は86年間、主のしもべだが、主に冷遇されたことはない。それなのに、なぜ今、私を救われた王を冒瀆(ぼうとく)することができようか」。私たちも迫害されたなら、この言葉に奮い立つでしょう。

へたったテント

ケニアのナイロビにいる牧師で友人のポールが、「私たちのテントはへたってきた」と書いていました。この教会は、2015年からテントのような場所で礼拝してきました。そして今、「このテントは古くなって、雨漏りがする」のだそうです。

イエスの元に走る

パリを旅行中、ベンと友人たちはある美術館に行きました。ベンの専攻は美術ではありませんでしたが、ウジェーヌ・ビュルナンの『復活の朝、墓へと走る使徒ペテロとヨハネ』を見て畏敬の念を抱きました。ペテロとヨハネの表情や手の位置は、言葉は無くても多くを物語っています。彼らの立場になって、その心の興奮を感じなさいと鑑賞する人々に呼びかけています。

追い詰められた

昔、友人が、複雑に入り組んだ交差点で立ち往生した話をしてくれました。「そんな場所は見たこともないし、教えられた交通規則は通用しそうもなかったし、すごく怖かったの。それで、交差点の角っこの道端に立って、バスが来たときに『向こう側まで乗せてってもらえませんか』って、運転手さんに頼んだのよ。そこを渡ることに慣れるまでにずいぶんかかったわ。歩いて渡るのも、車で通るのもね」

あわれみ

新型コロナウイルス感染症のためにクルーズ船の乗客は船内での隔離生活を余儀なくされました。『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙に掲載されていた乗客のインタビューによると、隔離生活で夫婦の会話が増えたといいます。ある人は、自分の過去の失敗を覚えている妻の記憶力がすごかったと冗談を言っていました。

悔い改めの報い

グレイディはちまたで「くず」と呼ばれ、車のナンバープレートにもそう記していました。そして中年の賭博師、詐欺師、不倫男にふさわしいあだ名だと自負していたのです。破産してお先真っ暗、神から遠く離れていました。しかしある晩、神の御霊にお前は罪人だと迫られたのです。彼は墓場まで持っていくつもりだった己の罪を告白し、イエスに赦しを乞いました。彼は妻に「俺は救われたと思うよ」と語りました。かつては40歳まで生きないだろうと思われていた人が、イエスを信じ、神に仕えて30年経ちました。ナンバープレートの装飾も「悔い改めよ」に変えました。

大水から救い出す

天気予報の3倍以上の大雨が、2021年8月、テネシー州のウェイバリーで降り、数百件の家屋が倒壊し、20名の犠牲者が出ました。熟練のヘリコプターパイロット、ジョエル・ボイヤースの思いやりと高い技術が無かったなら、さらに多くの人命が失われていたでしょう。

分裂しない家

イリノイ州選出の共和党の上院議員候補だったアブラハム・リンカーンは1858年6月16日に有名な「分かれたる家」という演説をしました。それはアメリカの奴隷制度にまつわる派閥間の抗争に光を当てたもので、彼の支援者の間にも、また反対者の間にも波紋を広げました。リンカーンは、マタイ12章25節の「分裂した家」という誰もが知っている比喩を用いることが重要だと考えました。なぜなら、人々は目を覚まし、深刻な危機が迫っていることに気付かなければならないと思ったからです。

ただ求める

妻が「終わった!」と嬉しそうに声を上げました。大きな仕事の原稿が仕上がったのです。進め方が分からなくて不安だったときは、神の助けを祈り求めました。SNSを通して祈りの援護を求めたこともありました。