Category  |  キリスト、救い主

その方はどんなお方?

新婚旅行の帰り道、空港で列に並んでいると、少し離れた所にいる男性に気づきました。目配せする私に、夫はちらっと見て「誰?」と言いました。私は興奮して、その俳優の有名な役の名を早口で言うと、彼のところに行って、一緒に写真を撮ってもらえませんかと尋ねました。私は24年経った今も、このことを楽しく人に話します。

凱旋パレード

メジャーリーグのシカゴ・カブスが2016年、108年ぶりにワールド・シリーズを制し、優勝パレードには500万人が詰めかけて勝利を祝いました。

戦勝パレードは古くから行われています。有名な古代ローマの凱旋パレードでは、将軍たちが味方の軍隊と捕虜たちを引き連れて行進しました。

使徒パウロが「キリストによる勝利の行列に加え」(Ⅱコリ2:14)と手紙に記したとき、彼はこのような行進をイメージしたのでしょう。ここで、キリストに従う者が捕らわれ人となっているのは興味深いことです(英語聖書NIVおよび文語訳聖書参照)。しかし、キリスト者は、よみがえられたキリストの勝利の行進に進んで参加します。そして、主が勝利によって王国を建設され、「ハデスの門も…打ち勝て」ないことを喜び祝います(マタ16:18)。

イエスが十字架で勝利され、その勝利が信じる人々に自由を与えると語るとき、私たちはキリストを知る知識のかおりをいたるところで放っています(Ⅱコリ2:14)。それが、他の人に救いの喜びを感じさせる甘いかおりであれ、敗北のみじめさを感じさせる悪臭であれ、このかおりは、私たちについてどこにでも行きます。

私たちはイエスに従うことで、イエスの復活の勝利、すなわち世界を救った勝利を宣言しています。

御名を物語る

絵で見る聖書物語を開き、孫と読み出すと、ふたりとも引き込まれてしまいました。本を閉じると「すべてのお話はイエスの御名をささやいている」という副題に気づきました。

神に命を救われた

アロン(仮名)は15歳のとき、サタンに祈り始めました。手を組んだと感じたと言います。そして、うそをついたり、家族や友人を操る小細工をしたり、万引きをしたりしました。悪夢でサタンに死ぬと脅されましたが、死にませんでした。アロンは、サタンがうそつきだと振り返ります。

きよめる

洗濯機に丸めて入れた白いタオルの中に、何と青色のボールペンが入っていました。乾燥の工程で破裂し、そこらじゅうにインクが飛び散り、白いタオルは台無しです。どんなに漂白剤を使ってもきれいにならず、あきらめて雑巾にすることにしました。そのとき、罪が与えるダメージを嘆く旧約聖書の預言者エレミヤの言葉が心に浮かびました。

裂けた神殿の幕

それは暗く陰気な日でした。エルサレムの城壁の外の丘で、ひとりの男が荒削りの木の十字架にかけられました。それまでの3年間、群衆を魅了し、熱心な信者を集めた人です。彼を悼んで嘆く人々。真っ暗な昼下がり。「完了した」(マタ27:50、ヨハ19:30)という叫び声とともに、彼は十字架の苦しみから解放されました。まさにその時です。神殿から町中に、もうひとつの音が響き渡りました。神殿の至聖所を隔てる分厚い大きな幕が、奇跡によって上下に真っ二つに裂けたのです(マタ27:51)。

造り主と支え主

スイス人の時計職人のフィリップは、虫眼鏡とピンセットを使ってゼンマイ式時計の細かい部品を分解し、掃除し、そして再び組み立てる工程を説明してくれました。複雑な部品を前に、最も重要な部品であるゼンマイも見せてくれました。ゼンマイはすべての歯車を動かし、時を正確に刻ませる部品です。時計は、どんなに巧みに設計されていても、ゼンマイが無くては動きません。

見えるのは唯一

クリスタは凍てつく湖岸に立ち、雪におおわれた美しい灯台をながめていました。写真を撮ろうとスマホを取り出しましたが、メガネが曇って何も見えません。それで、カメラを灯台に向けて当てずっぽうに3度、シャッターを押しました。しかし後で見ると、自撮りモードになっていたのです。彼女は笑って「自分が中心。見えるのは、唯一自分だけ」と言いました。それを聞いて、私はある失敗について考えました。私たちは、よく自己中心になって、神のご計画の全体像を見失います。

主はどのようなお方か

昨年、私たちはがんで闘病中の3人の女性のために祈りました。神は癒やす力をお持ちだと知っていたので、私も友人たちも毎日祈りました。主が病気を癒やされたケースを知っていたので、今回も同じことが起こると信じていました。回復の兆しを見て喜んだ時期もありましたが、結局、秋には全員が亡くなっていました。この3人は、究極の癒やしを得たと言う人がいます。それは確かにそうです。しかし、私たちは喪失感で深く傷つきました。全員が癒やされて欲しかったのに、なぜか奇跡は起こりませんでした。

イエスの奇跡を見て、自分も何かしてもらおうとついて行った人がいました(ヨハ6:2、26)。自分たちの王が現れたと思った人(ルカ19:37-38)、偉大な教師だと言った人がいました(マタ7:28-29)。一方、イエスはただの大工の息子だとか(マタ13:55-58)、その教えは到底受け入れられないと思って去った人もいました(ヨハ6:66)。

イエスは私たちの願いを必ずかなえてくださるとは限りませんが、私たちの想像をはるかに超えたお方、永遠のいのちの与え主です(ヨハ6:47-48)。イエスは賢く良いお方。愛し、赦し、寄り添い、慰めてくださるお方です。そのイエスの内に憩い、このお方に従っていきましょう。