恵みの賜物 「デイリーブレッド」10選

 

これらのデボーション・メッセージは、皆さまの信仰の歩みのお手伝いをさせていただきます。

私たちに対する神の愛、そしてその愛のゆえに与えられた恵みの贈り物のことをよりよく知っていただくために選ばれたメッセージです。

 

このクリスマス、皆さまが本当の喜びを見つけることができますように。

一日目

クリスマスのキリスト(救い主)

恵みの賜物: 一対一の関係

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。—ヨハネ3:16

シンガポールのクリスマスは、雪の代わりに雨がよく降ります。私の家族はクリスチャンではないので、クリスマスを祝いませんでした。しかしある年、まだ子供だった私と兄弟は近所の子供たちとクリスマスプレゼントを交換することにしました。きっとテレビの番組か何かを見て思いついたのでしょう。それぞれの名前を書いた紙切れの入った袋からひとつ取り出して、当たった名前の人に贈り物を用意しました。もらったプレゼントを喜ぶ子もいれば、不満そうな子もいました。でも、プレゼントをもらったこと自体にみんな満足でした。

その頃、私たちは二千年前に完璧な贈り物を創造主なる神から頂いたことを知りませんでした。聖書には、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハ3:16)と書いてあります。私は十代の頃、この贈り物について知り、イエスを救い主として受け入れました。

クリスチャンになって初めてのクリスマスは特別で、今でもよく覚えています。神の完全なる贈り物であるイエス・キリストの降誕を祝うという、クリスマスの真の意味がようやくわかったのですから。神とは、掴み所のない超自然の力ではありません。神は、国も身分も貧富の差も分け隔てなく、私たちをひとりの人間として愛してくださるお方です。主はご自分の命を投げ打って私たち一人一人への愛を現してくださいました。

クリスマスの季節も、いつでも、絶え間なく、私たちがクリスマスの救い主を見つめて歩んでいけますように。 POH FANG CHIA

神はベツレヘムで、愛することは与えることである、と示してくださった。


聖書のみことば:ヨハネ3:16–21

16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。17神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。18御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。19そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。20悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。21しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。

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二日目

インマヌエル(神が共にいてくださる)

恵みの賜物:もう一人ぼっちじゃない

見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル(神が共におられる、という意味)』と名づける。—イザヤ7:14

私の友達は新婚ですが、早く子供が欲しくてたまらないそうで、夫婦で妊活に励み、毎日子供が授かるように祈っています。奥さんはまだ妊娠していませんが、すでに名前も幾つか考えてあるほどです。

紀元前735年、預言者イザヤは主なる神から離れてしまったユダの民に対して次のように告げました。「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル(神が共におられる、という意味)』と名づける」(イザ7:14)。救い主イエスは、誕生より730年も前に名付けられていたのです。

クリスマスの真理は、「神が」、「私たちと」、「共におられる」、という三つのことばに集約されると言われます。クリスマスと言えば、救い主が人としてお生まれになったことだけに目を向けがちですが、より大切なのはその救い主が神であること、つまり、「神が私たちと共におられる」ことなのです。

インマヌエルが表すのは、私たちと関係なく遥か彼方の王座に神が君臨されているのではないことを表します。神は、人間の身体に人の衣をまとって私たちのところまで来てくださいました。ヨセフとマリヤが息子の名を呼ぶ度に、神が我が家にいらっしゃることを思い起こさせました。

あなたはひとりぼっちですか。何かを恐れていますか。神を遠く感じ、厳しい目で見張っているように感じたことはありますか。クリスマスのメッセージはこうです。あなたはもう、ひとりじゃない。イエスがおいでになった。インマヌエル。今、神は私たちと共におられる。 K. T. SIM

インマヌエル〜神は私たちと共におられます!


聖書のみことば:イザヤ7:10-14

10主は再び、アハズに告げてこう仰せられた。11「あなたの神、主から、しるしを求めよ。よみの深み、あるいは、上の高いところから。」12するとアハズは言った。「私は求めません。主を試みません。」13そこでイザヤは言った。「さあ、聞け。ダビデの家よ。あなたがたは、人々を煩わすのは小さなこととし、私の神までも煩わすのか。14それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。

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三日目

ウクライナのクリスマス

恵みの賜物:祝う理由

いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。—ルカ2:14

ウクライナのクリスマスのお祝いには、数々の素敵な習慣があります。例えば、ベツレヘムの飼葉おけを忘れないために、食事のテーブルの上に干し草の束を置きます。お祝いの中で、救い主がこの世に来てくださった夜の出来事を再現したりもします。クリスマスの祈りがささげられ、その家の家長が「キリストがお生まれになった!」と挨拶すると、家族みんなが、「キリストに栄光を!キリストをほめたたえよう!」と応答します。

このやり取りは、キリストがお生まれになったあの夜、天の軍勢が夜空をおおうように現れた、ベツレヘムの牧場に私を連れて行ってくれます。神の御使いはこう宣言しました。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカ2:11)。すると天の軍勢が、「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」と応答したのです(14節)。

この一対のメッセージは、クリスマスというこの素晴らしい時に更なる奥行きを与えます。救い主が、神の赦しと永遠の希望を携えて来てくださいました。そのお方は、私たちが全身全霊でほめたたえるにふさわしいお方です。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。」 BILL CROWDER

神の愛の壮麗さは、イエスの到来の内に啓示されている。


聖書のみことば:ルカ2:6-14

6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

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四日目

一番嬉しかったプレゼント

恵みの賜物:神を知ることができる

主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。—Ⅰ歴代誌16:8

修養会で「今までで一番嬉しかったクリスマスプレゼントは何ですか」と質問されると、スポーツマンタイプの男性が、「その答えは簡単だ」と言いました。「僕は大学を卒業したら、プロのフットボール選手にスカウトされると思っていましたが、そうならなくて腐っていました。そして、周りの人たちを傷つけていたのです。それから2年。フットボールを離れてから2度目のクリスマスに、今隣に座っている友人の教会に、クリスマス劇を観に行きました。求道心などありません。姪が出演するので、行ったのです。そのときの気持ちを表現するのは難しいのですが、なぜか、子どもたちの劇の真っ最中に、僕も羊飼いや天使たちと一緒にイエスに会わなければ、と切実に思いました。会衆が『きよしこの夜』を歌い終わった時には、立つこともできず泣いていました。」彼はもう一度、隣の友人をチラリと見て言いました。「彼は、家族を先に帰しました。そして、イエスを心に迎える祈りを導いてくれたのです。あの夜、僕は、最高のクリスマスプレゼントをもらいました。」

このクリスマス、イエスが生まれたという単純で喜ばしい物語から、イエスのことを知りたいという思いが私たちのうちに生まれますように。 RANDY KILGORE

最高のクリスマスプレゼントは、イエスから与えられる和解と赦しだ。


聖書のみことば:Ⅰ歴代誌16:8-13

8主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。9主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。10主の聖なる名を誇りとせよ。主を慕い求める者の心を喜ばせよ。11主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。12主が行われた奇しいみわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきとを。13主のしもべイスラエルのすえよ。主に選ばれた者、ヤコブの子らよ。

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五日目

クリスマスの歓迎

恵みの賜物:神が光への道を示してくださる

やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。—イザヤ9:2

サンフェルナンド市は、フィリピンのルソン島、パンパンガ州にあります。古い歴史を持つこの州都では、フィリピンの典型的クリスチャン文化の伝統である「パロル」を用いた大ランタン祭りが開かれます。シンプルな竹や色とりどりの紙とろうそくから、職人たちが匠の技で鮮やかな星型のランタンを創作し、キリストの生誕を祝います。

世界各地に移り住んだフィリピン人は、閑静な住宅街やビジネス街、高層住宅など移住先でも、この伝統のお祭りを祝い続けます。フィリピンの奥地の村落にある質素な高床式住居にさえ、パロルの灯火を見かけます。所変われど、クリスマスの喜びに違いはありません。

遠い昔、田舎のある丘のふもとで、羊飼いたちが「野宿で夜番」をしていると、「たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。『いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように』」(ルカ2:13-14)と聖書に書いてあります。

「パロル」は、捧げ物を持った東方の博士たちを世の光のもとに導いたというベツレヘムの星を表します。富を持つ博士たちも、家さえ持たない羊飼いたちも、主は同様に歓迎なさいました。「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った」(イザ9:2)のです。この光は、全ての人々を照らします。 TIM GUSTAFSON

キリストの光は、私たちの暗やみの日々さえ照らしてくださる。


聖書のみことば:ルカ2:13-20

13すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。14いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」15御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」16そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。17それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。18それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。19しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。20羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

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六日目

村のクリスマス

恵みの賜物:神が新しい人生をくださる

「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」—ヨハネ10:10

子供の頃の一番古いクリスマスの思い出は、カカオ農場と見上げるようなマホガニーや椰子の木々に囲まれて点在する小さな村々の記憶に遡ります。小学生くらいの子供たちは、両親がクリスマスに着せてくれた新しい服を着て、幼子イエスを探し求める東方の三博士のように、村から村へと歩き回りました(マタ2:1-2)。

みどりごイエスは、そこにはおられませんでしたが、村には親しみと善意が溢れていました。クリスマスの午後になると、母親たちが用意したご馳走の入った器を子供らが隣人に届けました。その村では、クリスマスとは、博愛の時を意味しました。

しかし、真のクリスマスの物語が欠けていたのです。楽しさや喜びが先行して、クリスマスの意味を考えもしませんでした。村に教会はなく、神が「実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハ3:16)というクリスマスのメッセージを伝えてくれる人もいませんでした。当事者抜きの誕生会を祝っていたようなものです。

それとは違って博士らは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」(マタ2:2)とイエスを何よりも探し求めました。そして遂に辿り着くと、「幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて…贈り物としてささげ」(11節)ました。最初に主を見つけ、拝んでから、贈り物をしたのです。

子供にとっても、大人にとっても、真実はひとつです。お祭り以上に、キリストこそがクリスマスの真意です。神の御子は、私たちが「いのちを得、またそれを豊かに持つため」(ヨハ10:10)にいらしたからです。 LAWRENCE DARMANI

イエスこそクリスマスを祝う理由である。


聖書のみことば:マタイ2:1-11

1イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。2「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。3それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。4そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。5彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。6『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」7そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。8そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」9彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。10その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。11そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

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七日目

一番大切な理由

恵みの賜物:神が私のためにいらっしゃった

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。—Ⅰヨハ4:9

イエスは、神についての私のあやふやな考えを直してくださいます。神が私たちを探し求めに来てくださること、自由意志を与えてくださること、そして何よりも神が愛であることに目を開かせてくださいます。

クリスチャン文化に慣れ育った人にとって、イエスのメッセージは衝撃的な内容だと言われても、ピンとこないでしょう。しかし、人間と神々との関係を説明する上で、愛を持ち出すのは普通ではないのです。アリストテレスは、「人がゼウスを愛するというのは奇妙だ」と言い切りました。裏返せば、ゼウスが人間を愛するのも同様に奇妙だというのです。それに比べて、キリスト教の聖書は、愛ゆえにイエスはこの世に来られたのだと説き明かし、「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです」(Ⅰヨハ4:9)と教えます。

ある日、私が空港で搭乗便を待っていた時のことです。当時私は「神に失望したとき」という本を執筆中で、人々の悲しみや疑い、叶えられなかった祈りなどに重荷を感じていました。

たまたま同じ会議に向かっていた友人のカレンは、私の話をじっと静かに聞いてくれていましたが、突然こう言いました。「フィリップは、ただ素直に神の愛を受けたことある?大事なことだと思うんだけど。」

その時私は、クリスチャンの信仰で一番大切なことを忘れていたのに気づきました。イエスの物語は、愛の物語です。そう、それには痛みも失望も含まれます。しかし、イエスが、わが子らを神の国に戻すためにどんな事でもしてくださる父なる神の約束を体現しておられます。 PHILIP YANCEY

愛ゆえ神ご自身が、人となってこの世に来られた。 WALVOORD


聖書のみことば:Ⅰヨハネ 4:1–9

1愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。2人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。3イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。4子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。5彼らはこの世の者です。ですから、この世のことばを語り、この世もまた彼らの言うことに耳を傾けます。6私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、私たちの言うことに耳を貸しません。私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。7愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。8愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。9神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

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八日目

祝福の木

恵みの賜物:キリストは大きなことをしてくださった

力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。—ルカ1:49

事業に失敗した若い夫婦の話を読んだことがあります。ふたりにはクリスマスを祝うお金などほとんどありませんでした。年が明けたら、家を明け渡すことになっていました。それでも、クリスマスを台無しにしたくはなかったので、パーティを開くことにしました。ところが、クリスマスツリーの飾りは、たった一連のライトと、くるくると小さく巻かれリボンで結ばれた紙切れだけでした。

しかし、ふたりは顔を輝かせて「ようこそ、わが祝福の木へ」と招かれた客に言いました。「つらい時ではあったけれど、神は色々な方法で祝福してくださいました。それで、このツリーを神に捧げようと思います。それぞれの紙には、今年いただいた神の恵みが書かれています」と語りました。

この夫妻は、その後もさらなる試練に見舞われましたが、ひたすら主に心を向けました。「祝福の木」とともに祝ったクリスマスは最高に素晴らしいものだったと、よく話しました。「わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。力ある方が、私に大きなことをしてくださいました」(ルカ1:47-49)と、マリヤが言ったことに共感できると言います。

どんな困難もクリスマスを台無しにすることはありません。まして、キリストの価値が損なわれるはずがありません。主イエスに心を向け続けましょう。そして、主の祝福をみんなと分かち合う方法を探しましょう。 JOANIE YODER

クリスマスを意味あるものにするには、キリストを第一にすることだ。


聖書のみことば:ルカ1:46-55

46マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、47わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
48主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。49力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。
その御名は聖く、50そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。51主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、52権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、53飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。54主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。55私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」

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九日目

最高の知らせ


恵みの賜物:救いは私を変えた

見よ。良い知らせを伝える者、平和を告げ知らせる者の足が山々の上にある。—ナホム書1:15

私たちはテレビやラジオ、ネットやスマホを通じて、世界中のニュースにさらされます。その大半は、犯罪、テロ、戦争、不況など悪いことですが、悲惨の闇を貫くように、自己犠牲的な親切、画期的な治療法の開発、和平交渉の進展等の良いニュースが届くこともあります。

さて、旧約聖書に記されたふたりの言葉が、戦火に疲れ果てた人々に大きな希望をもたらしました。ナホムは、冷酷非道な強国に対する神のさばきが近づいている、「見よ。良い知らせを伝える者、平和を告げ知らせる者の足が山々の上にある」と言いました(ナホ1:15)。この言葉は、残忍な圧政の元にあるすべての人々に希望を与えました。また、これとよく似たみことば、「良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ…る者の足は」(イザ52:7)は、イザヤの預言です。

最初のクリスマスの夜、ナホムとイザヤが預言した希望は成就しました。天使が、羊飼いたちに「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」と告げたのです(ルカ2:10–11)。

私たちの日常生活の中で最も重要なニュースは、救い主キリストがお生まれになったという最高の知らせです。 DAVID MCCASLAND

ベツレヘムで神の愛がお生まれになった。


聖書のみことば:ナホム書1:1-15

1ニネベに対する宣告。エルコシュ人ナホムの幻の書。2主はねたみ、復讐する神。主は復讐し、憤る方。主はその仇に復讐する方。敵に怒りを保つ方。3主は怒るのにおそく、力強い。主は決して罰せずにおくことはしない方。主の道はつむじ風とあらしの中にある。雲はその足でかき立てられる砂ほこり。4主は海をしかって、これをからし、すべての川を干上がらせる。バシャンとカルメルはしおれ、レバノンの花はしおれる。5山々は主の前に揺れ動き、丘々は溶け去る。大地は御前でくつがえり、世界とこれに住むすべての者もくつがえる。6だれがその憤りの前に立ちえよう。だれがその燃える怒りに耐えられよう。その憤りは火のように注がれ、岩も主によって打ち砕かれる。7主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。8しかし、主は、あふれみなぎる洪水で、その場所を滅ぼし尽くし、その敵をやみに追いやられる。9あなたがたは主に対して何をたくらむのか。主はすべてを滅ぼし尽くす。仇は二度と立ち上がれない。10彼らは、からみついたいばら。大酒を飲んだ酔っぱらいのようであっても、かわいた刈り株のように、全く焼き尽くされる。11あなたのうちから、主に対して悪巧みをし、よこしまなことを計る者が出たからだ。12主はこう仰せられる。「彼らは安らかで、数が多くても、刈り取られて消えうせる。わたしはあなたを苦しめたが、再び、あなたを苦しめない。13今、わたしは彼のくびきをあなたからはずして打ち砕き、あなたをなわめから解き放す。」14主はあなたについて命じられた。「あなたの子孫はもう散らされない。あなたの神々の宮から、わたしは彫像や鋳像を断ち滅ぼす。あなたはつまらない者であったが、わたしはあなたの墓を設けよう。」15見よ。良い知らせを伝える者、平和を告げ知らせる者の足が山々の上にある。ユダよ。あなたの祭りを祝い、あなたの誓願を果たせ。よこしまな者は、もう二度と、あなたの間を通り過ぎない。彼らはみな、断ち滅ぼされた。


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十日目

男の赤ちゃん


恵みの賜物:神は、私たちに御子をくださった

男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。—ルカ2:7

新聞に目を引く一面広告がありました。紙面の上の方は空色で、そこに星の輪郭が描かれていました。中央には「男の子が生まれた!」とあり、下にはルカ2章11節の「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」というみことばが印刷されていました。

「男の子が生まれた!」というシンプルなメッセージは、この世に救い主が来てくださったというすばらしい宣言です。なぜ、神はそうされたのでしょう。

それは、私たちに必要があったからです。人は自分の罪のために聖なる神から離れていました(ロマ3:23)。それで、神と再び結ばれるためには、仲裁者となる完全無欠な救い主が必要でした。そのお方を送って、壊れた関係を回復できるのは神だけでした。

それはまた、神のみこころでした。神は、私たちをこよなく愛されたので、ご自分との関係を回復させるために、ひとり子をくださいました(ヨハ3:16)。イエスだけが神の条件にかなう、罪のない唯一の犠牲だったからです(ヘブ9:11-15)。イエスは、神のみこころに従って十字架にかかられました。神はこの犠牲を受け入れ、イエスを死からよみがえらせました。

父なる神は、その愛のために、私たちの必要に応えて御子イエスをくださいました。この無償の贈り物を、今日受け取りましょう。 ANNE CETAS

私たちが生きるために、イエスは死なれた。


聖書のみことば:ローマ3:22-26

22すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。23すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、24ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。25神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。26それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。


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神の恵みの賜物はあなたのものです

神の恵みの賜物はあなたのものです

クリスマスを祝う本当の理由は、イエスが人になるために天国の栄光を離れてくださったことです。そして、腐敗したこの世での生活に耐え、人類の歴史上犯されたすべての罪の償いをするためです。

クリスマスを祝う理由は、イエスが私たち人間を罪から救うために来てくださったからです。そのおかげで、イエスを信じるすべての人が、本来あるべき神との関係を取り戻せます。私たちは、神との生きた絆を得、最終的には天国で永遠に神と生きることができます。これこそ、喜んで祝うべき賜物です。

神と人間との関係が壊れていたことや、神が大きなことを私たちのためにしてくださったことを、今初めて知ったという方もいるでしょう。そして、愛し愛される神との関係を心から望んでいる方もいるでしょう。

どんな人間関係でも、関係を修復するには、自分の過ちを認めて心から謝罪しなければなりません。神との関係を修復したいと思うなら、これまでの誤った選択を認めて神に謝罪し、神が愛を示すためにしてくださったことへの感謝を示す必要があります。そうしたいと思う方は、以下のような祈りを自分の言葉で祈ってください。

「神さま、私を造ってくださったあなたを無視して人生を造り上げようとしてごめんなさい。ありのままの私を愛してくださってありがとうございます。イエスは人類の罪のために、そして私が神さまとの絆を持てるように、ご自分のいのちをささげてくださいました。イエスをこの世に送ってくださってありがとうございます。今日から、あなたとともに生きる新しい人生を歩めるようにどうか助けてください。」

神に心を向けて、神の真理を求める人には、人生の新しい旅路の始まりです。この祈りは、長い旅の第一歩です。人生には困難がつきものですから、これからもつらい時があるでしょう。けれども、神とともに歩むなら、私たちは決してひとりぼっちではありません。神が私たちを助け、導き、生きる力を与えてくださいます。神とともに生きる人は皆、新しい人です。完ぺきではありませんが、神に赦され、新たな希望を日々いただいて生きる存在です。

イエスをとおして神が私たちを愛してくださることについて、もっと聖書から読んでみたいという方は、デイリーブレッドのサイト(japanese-odb.org)内にある他のエッセーや読み物もご活用ください。当サイトの読み物はすべて聖書に基づいており、神とともに生きることについて考え、一歩踏み出そうとする方を応援するために提供されています。

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