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私の物語

小さい頃から、私は優秀な姉と弟と比べられながら育ちました。姉は中学三年間、学年で1番以外の成績を取ったことがありませんでしたし、弟は東京大学に現役で合格しました。私も勉強ができないわけではないけれど、姉や弟と比べれば話にならないような成績でしたから、誰がしなくとも、自分で自分のことを比較しては、落胆したりしていました。

でも、私はどこかで、比較されたくないし、比較したくもないと思っていました。

ところが世の中には「自分を測るものさし」があって、私がどこへ行こうが、何をしようが、それによって否応なく測られる。そこからは逃げられないと、諦めにも似た気持ちを抱いていました。それが、私の中高生時代です。

学校の成績、外見、運動能力、稼ぐ力、住んでいる家、洋服の趣味に至るまで、私たちは、測られ比較されるという呪いから、一生逃れることができないのだろう。そんな風に考えては、誰にも測られない場所とはどんな場所だろうと空想したりしました。

他方で、褒められれば有頂天になり、けなされれば腹が立ちます。自分よりも「下」だと認定した相手を心の中で見下し、自分よりも「上」だと思っている誰かには、心密かに劣等感を抱く、そんなあさましい魂の自分がさらに嫌になる・・・という悪循環に陥っていました。

同時に私は心のどこかで、人に受け入れられたいとも思っていました。もっと率直に言えば、愛されたいと渇望していたのです。ですから、仲間に受け入れられるように振る舞うのですが、ときには仲間内で演じているキャラが本当の自分ではないと知っているので、そんな風に振る舞った自分が後で嫌になる、そんな経験もたくさんしました。

私にはもう一つ問題がありました。それは、自分があまりにも変わっているので、本当に受け入れてもらえる場所なんて、この世の中には決してないのではという、根拠のない確信のようなものを小さい頃から心に抱いていたのです。どんな集団の中にいても、自分だけは他者と違う、自分はきっとここにいてはいけない存在なのだ、という居心地の悪さがいつもありました。自分が異物のように感じ、本当は地球人の形をした宇宙人なのかもしれないと考え始めるとそれが止まらなくなり、会話においてけぼりにされ、ますます変人認定をされる・・・これもまた、別の悪循環でした。

今思い返すと、私は比較という尺度においては、他者と違っていたいと願い、仲間に受け入れられるという尺度では、他者と同じになりたいと願っていたのです。