1年で聖書を!
◆ エゼキエル書14-15
◆ ヤコブ2
聖書のみことば ローマ6:1-14

 
自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。―ローマ6:11


保育園で4歳の息子が騒ぎを起こしたと聞いて、母親が問いただしました。「いったい何をしたの?」すると、その子が言いました。「友だちにむかついたんだ。でも、ママが人をたたいてはいけないと言うから、別の子にたたいてもらったんだ。」

こんなに小さな子が、どこでそんな悪知恵を習ったのでしょう。聖書によるなら、習うまでもなく、生まれつき身についているというのです。これは、人間の堕落した本性の一端です。私たちみんなが、生まれつき持っている性質です。
 

しかしクリスチャンならば、堕落した性質に従って行動する必要はありません。聖書は「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、…私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためである」と語ります(ロマ6:6)。私たちは「新しく造られた者」(Ⅱコリ5:17)です。「罪から解放されて神の奴隷と」なったのです(ロマ6:22)。

クリスチャンにも肉の欲や罪の誘惑との戦いがあります(ロマ7:18-19)。しかし、今や「神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者」なのですから、私たちは、神がほめたたえられるような道を選択して歩んでいくことができます(ロマ6:11)。

あの幼い男の子のように仕返しをしようとしてはいけません。それよりも「あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ…あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい」というローマ人への手紙6章13節のみことばに従うべきです。

(C.P.Hia)

キリストの力をいただくために罪の楽しみを捨てるなら、勝利が得られる。