こんなことわざを聞いたことがありますか。「速く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければみんなで進め」。素敵だと思いませんか。でも、これが真実だという確かな裏付けはあるのでしょうか。英米の研究者によると、目の前にある山を誰かと一緒に見るときは...
デイリーブレッド
山を乗り越えて
こんなことわざを聞いたことがありますか。「速く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければみんなで進め」。素敵だと思いませんか。でも、これが真実だという確かな裏付けはあるのでしょうか。英米の研究者によると、目の前にある山を誰かと一緒に見るときは、同じ山を一人で見るときよりも、かなり小さく感じるのだそうです。つまり、助け合いには意味がある、山を小さく見せる力さえ持っているということです。
災難に続く道
朝の散歩をしていると、進行方向と逆に駐車している車に気付きました。運転席の人は酔って寝ているようで、危険なことをしている認識がありません。一刻も早く、この状況を変える行動が必要です。私は、やっとのことで運転手を起こし、助手席に移ってもらい、私がハンドルを握って車を安全な場所に移動させました。
絶えず祈りなさい
高校に入った娘が昼休みにスマホにメッセージをくれました。テストの結果が良かったようで興奮しています。母親の私も大喜びです。テストの点数が良かったからだけではありません。私に伝えたいと思ってくれたからです。良い知らせを共有したかったのでしょう。
探求の書シリーズ
悲しみの人イエス ― 主の苦しみと共感が私たちにもたらすもの
「この苦しみは誰にも分かってもらえない……。」そう感じるときがあります。しかし聖書は、私たちの痛みに共感してくださる主がおられると語ります。まことの神であられるにもかかわらず、まことの人となられたイエスは、私たちの経験をご自分のものかのように分かってくださいます。私たちがこの世界で葛藤するとき、「悲しみの人」イエスは慰めを与えてくださるのです。本書を通し、人間として生きられた救い主の愛の深さを知ることができますように。そして、その愛があなたの人生をどのように変えるかを理解できますように。
父の自死とそれからの私
世界中で毎年七十万人近い自死者がいると推定されています。その亡くなったひとりひとりには家族や友人がいます。著者アルバート・シー氏もその一人です。 ここには、遺された人がたどる悲しみや苦しみの道、その只中で神がどのように寄り添い、生きていく力をくださるのかが、正直に丁寧に記されています。
祈りを教えてください
祈りはキリスト者にとって身近なものなのに、分からないことが多いと感じませんか。あきらめずに祈り続けるためには、助けが必要なことも多々あります。そういうわけですから、ひとりの弟子がしたように、「祈りを教えてください」と、イエスに願うところから始めてはいかがでしょう(ルカ11:1)。神は必ず、聖書を通して教えてくださいます。
恵み―神の贈り物
恵み。これはクリスチャンにとって大切な言葉です。神からの最高の贈り物である恵みの意味を本当に理解すれば、それが福音、つまりイエスが私たちの救いのためにしてくださったことの中心であると分かります。エペソ人への手紙2章1節から10節を共に学び、このみことばに示された素晴らしいメッセージを受け取りましょう。
驚くべき救い主の御名
名前は、人間関係において重要な意味があります。そして、神との関係においては名前がさらに重要です。著者ビル・クラウダーは、イザヤ書9章6節に記された「不思議な助言者」「力ある神」「永遠の父」「平和の君」という神の御名に注目し、これらの御名から、神はどのようなお方なのか、私たちが神を信頼できる根拠は何なのかを解き明かします。
さあ、祈りましょう―聖書のみことばで神に語りかける
聖書の祈りは、神からのすばらしい贈り物です。私たちは、イエスやモーセ、ダビデ、ヨブ、サムエル、イザヤ、エレミヤ、マリヤ、ペテロ、パウロ、その他の大勢の人たちが、どのように神に祈ったかを知ることができます。聖書の祈りは、私たちの祈りを助けてくれます。イエスも十字架の上でダビデの祈りを祈られました。
聖書の祈りを心から祈るなら、私たちは神のみそばに引き寄せられます。聖霊がいのちの息吹を、私たちの祈りと人生に与えてくださいます。さあ、祈りましょう。
イエスが描いてくださった祈りのための青写真
私たちと神との関係で、最も大きな問題点のひとつは、私たちの自己中心です。自分なりの方法で神により頼むことができる、と思っていることです。この身勝手な神頼みは、私たちの祈りに表れます。祈る人はたくさんいますが、神のみこころにそって祈る人は、そう多くはありません。神が望んでおられるように祈ること、これが、このテキストが取り組んでいることです。「主の祈り」は、最もよく知られた祈りです。何度も口ずさまれてきましたが、ほとんど理解されないままでした。ゴードン・コンウェル神学大学院の説教学の教授であり、聖書学者としてもよく知られているハドン・ロビンソンが、この混乱した状況にメスを入れ、祈りの青写真はイエスによって描かれていることを明らかにしました。この青写真は、二千年前そうであったように、現代の私たちにも適切な示唆を与えてくれます。
(A5版 40ページ)
悲しみの人イエス ― 主の苦しみと共感が私たちにもたらすもの
「この苦しみは誰にも分かってもらえない……。」そう感じるときがあります。しかし聖書は、私たちの痛みに共感してくださる主がおられると語ります。まことの神であられるにもかかわらず、まことの人となられたイエスは、私たちの経験をご自分のものかのように分かってくださいます。私たちがこの世界で葛藤するとき、「悲しみの人」イエスは慰めを与えてくださるのです。本書を通し、人間として生きられた救い主の愛の深さを知ることができますように。そして、その愛があなたの人生をどのように変えるかを理解できますように。
父の自死とそれからの私
世界中で毎年七十万人近い自死者がいると推定されています。その亡くなったひとりひとりには家族や友人がいます。著者アルバート・シー氏もその一人です。 ここには、遺された人がたどる悲しみや苦しみの道、その只中で神がどのように寄り添い、生きていく力をくださるのかが、正直に丁寧に記されています。
祈りを教えてください
祈りはキリスト者にとって身近なものなのに、分からないことが多いと感じませんか。あきらめずに祈り続けるためには、助けが必要なことも多々あります。そういうわけですから、ひとりの弟子がしたように、「祈りを教えてください」と、イエスに願うところから始めてはいかがでしょう(ルカ11:1)。神は必ず、聖書を通して教えてくださいます。
恵み―神の贈り物
恵み。これはクリスチャンにとって大切な言葉です。神からの最高の贈り物である恵みの意味を本当に理解すれば、それが福音、つまりイエスが私たちの救いのためにしてくださったことの中心であると分かります。エペソ人への手紙2章1節から10節を共に学び、このみことばに示された素晴らしいメッセージを受け取りましょう。
驚くべき救い主の御名
名前は、人間関係において重要な意味があります。そして、神との関係においては名前がさらに重要です。著者ビル・クラウダーは、イザヤ書9章6節に記された「不思議な助言者」「力ある神」「永遠の父」「平和の君」という神の御名に注目し、これらの御名から、神はどのようなお方なのか、私たちが神を信頼できる根拠は何なのかを解き明かします。
さあ、祈りましょう―聖書のみことばで神に語りかける
聖書の祈りは、神からのすばらしい贈り物です。私たちは、イエスやモーセ、ダビデ、ヨブ、サムエル、イザヤ、エレミヤ、マリヤ、ペテロ、パウロ、その他の大勢の人たちが、どのように神に祈ったかを知ることができます。聖書の祈りは、私たちの祈りを助けてくれます。イエスも十字架の上でダビデの祈りを祈られました。
聖書の祈りを心から祈るなら、私たちは神のみそばに引き寄せられます。聖霊がいのちの息吹を、私たちの祈りと人生に与えてくださいます。さあ、祈りましょう。
イエスが描いてくださった祈りのための青写真
私たちと神との関係で、最も大きな問題点のひとつは、私たちの自己中心です。自分なりの方法で神により頼むことができる、と思っていることです。この身勝手な神頼みは、私たちの祈りに表れます。祈る人はたくさんいますが、神のみこころにそって祈る人は、そう多くはありません。神が望んでおられるように祈ること、これが、このテキストが取り組んでいることです。「主の祈り」は、最もよく知られた祈りです。何度も口ずさまれてきましたが、ほとんど理解されないままでした。ゴードン・コンウェル神学大学院の説教学の教授であり、聖書学者としてもよく知られているハドン・ロビンソンが、この混乱した状況にメスを入れ、祈りの青写真はイエスによって描かれていることを明らかにしました。この青写真は、二千年前そうであったように、現代の私たちにも適切な示唆を与えてくれます。
(A5版 40ページ)
悲しみの人イエス ― 主の苦しみと共感が私たちにもたらすもの
「この苦しみは誰にも分かってもらえない……。」そう感じるときがあります。しかし聖書は、私たちの痛みに共感してくださる主がおられると語ります。まことの神であられるにもかかわらず、まことの人となられたイエスは、私たちの経験をご自分のものかのように分かってくださいます。私たちがこの世界で葛藤するとき、「悲しみの人」イエスは慰めを与えてくださるのです。本書を通し、人間として生きられた救い主の愛の深さを知ることができますように。そして、その愛があなたの人生をどのように変えるかを理解できますように。
父の自死とそれからの私
世界中で毎年七十万人近い自死者がいると推定されています。その亡くなったひとりひとりには家族や友人がいます。著者アルバート・シー氏もその一人です。 ここには、遺された人がたどる悲しみや苦しみの道、その只中で神がどのように寄り添い、生きていく力をくださるのかが、正直に丁寧に記されています。
祈りを教えてください
祈りはキリスト者にとって身近なものなのに、分からないことが多いと感じませんか。あきらめずに祈り続けるためには、助けが必要なことも多々あります。そういうわけですから、ひとりの弟子がしたように、「祈りを教えてください」と、イエスに願うところから始めてはいかがでしょう(ルカ11:1)。神は必ず、聖書を通して教えてくださいます。
恵み―神の贈り物
恵み。これはクリスチャンにとって大切な言葉です。神からの最高の贈り物である恵みの意味を本当に理解すれば、それが福音、つまりイエスが私たちの救いのためにしてくださったことの中心であると分かります。エペソ人への手紙2章1節から10節を共に学び、このみことばに示された素晴らしいメッセージを受け取りましょう。
驚くべき救い主の御名
名前は、人間関係において重要な意味があります。そして、神との関係においては名前がさらに重要です。著者ビル・クラウダーは、イザヤ書9章6節に記された「不思議な助言者」「力ある神」「永遠の父」「平和の君」という神の御名に注目し、これらの御名から、神はどのようなお方なのか、私たちが神を信頼できる根拠は何なのかを解き明かします。
さあ、祈りましょう―聖書のみことばで神に語りかける
聖書の祈りは、神からのすばらしい贈り物です。私たちは、イエスやモーセ、ダビデ、ヨブ、サムエル、イザヤ、エレミヤ、マリヤ、ペテロ、パウロ、その他の大勢の人たちが、どのように神に祈ったかを知ることができます。聖書の祈りは、私たちの祈りを助けてくれます。イエスも十字架の上でダビデの祈りを祈られました。
聖書の祈りを心から祈るなら、私たちは神のみそばに引き寄せられます。聖霊がいのちの息吹を、私たちの祈りと人生に与えてくださいます。さあ、祈りましょう。
イエスが描いてくださった祈りのための青写真
私たちと神との関係で、最も大きな問題点のひとつは、私たちの自己中心です。自分なりの方法で神により頼むことができる、と思っていることです。この身勝手な神頼みは、私たちの祈りに表れます。祈る人はたくさんいますが、神のみこころにそって祈る人は、そう多くはありません。神が望んでおられるように祈ること、これが、このテキストが取り組んでいることです。「主の祈り」は、最もよく知られた祈りです。何度も口ずさまれてきましたが、ほとんど理解されないままでした。ゴードン・コンウェル神学大学院の説教学の教授であり、聖書学者としてもよく知られているハドン・ロビンソンが、この混乱した状況にメスを入れ、祈りの青写真はイエスによって描かれていることを明らかにしました。この青写真は、二千年前そうであったように、現代の私たちにも適切な示唆を与えてくれます。
(A5版 40ページ)
自分らしく生きるシリーズ
脱・つながり孤独
人とつながるはずのSNSを使うことで孤独感が一層深まる、という人が増えているといいます。何という矛盾でしょう。孤独の良い面、悪い面とは、どのようなものでしょう。どのようにSNSを活用すれば、「つながり孤独」に陥らずにすむのでしょう。いっしょに考えましょう。
空気を読まないのは悪いこと?
あなたが感じる息苦しさは、日本社会の「空気の支配」と関係していますか。「空気を読めない」ことは、そんなに悪いことなのでしょうか。空気の支配から自由になるには、どうすればよいでしょう。不健全な支配に縛られないコミュニティーを共に作るために、いっしょに考えましょう。
脱・つながり孤独
人とつながるはずのSNSを使うことで孤独感が一層深まる、という人が増えているといいます。何という矛盾でしょう。孤独の良い面、悪い面とは、どのようなものでしょう。どのようにSNSを活用すれば、「つながり孤独」に陥らずにすむのでしょう。いっしょに考えましょう。
空気を読まないのは悪いこと?
あなたが感じる息苦しさは、日本社会の「空気の支配」と関係していますか。「空気を読めない」ことは、そんなに悪いことなのでしょうか。空気の支配から自由になるには、どうすればよいでしょう。不健全な支配に縛られないコミュニティーを共に作るために、いっしょに考えましょう。
脱・つながり孤独
人とつながるはずのSNSを使うことで孤独感が一層深まる、という人が増えているといいます。何という矛盾でしょう。孤独の良い面、悪い面とは、どのようなものでしょう。どのようにSNSを活用すれば、「つながり孤独」に陥らずにすむのでしょう。いっしょに考えましょう。
空気を読まないのは悪いこと?
あなたが感じる息苦しさは、日本社会の「空気の支配」と関係していますか。「空気を読めない」ことは、そんなに悪いことなのでしょうか。空気の支配から自由になるには、どうすればよいでしょう。不健全な支配に縛られないコミュニティーを共に作るために、いっしょに考えましょう。