英国在住の若い男性から米国の私にメールが来ました。彼の63歳の父親が病院で生死の淵をさまよっていると言います。私は、この2人と面識はないのですが、父親の方とは仕事の関係で頻繁なやり取りがありました。息子は、父に励ましと祈りのビデオメッセージを送っ...
デイリーブレッド
恵みを維持するお方
昔、ボストンで巨大な糖蜜の貯蔵タンクが爆発しました。1919年1月15日、約870万リットルの糖蜜が、高さ約5メートルの波となって時速50キロ以上の勢いで街路を襲い、建物や市電、人や動物を押し流しました。糖蜜自体は良いものでも、この事故の被害は甚大で、21人が亡くなり、150人以上が負傷しました。
スタミナ切れ
看護師の友人が「これ以上はもう無理」と涙ながらに訴えました。「自分は看護師に召されたと信じているけれど、もう精神的に参ってしまった」と言いました。新型コロナウイルス感染症がまん延する混乱の中で働き続け、絶望感に圧倒されていたのです。私は友人の疲れ切った顔を見て言いました。「無力さを感じているのね。それなら、神にもらった志を貫く力と、どこに進むべきかという神の導きを祈りましょう」。彼女は即、一般的な祈りではなく、真剣に具体的に祈りました。そして程なく、新たな目的意識を得て、元気を取り戻しました。神は彼女に看護の仕事を続ける気力や体力だけでなく、国中の病院を回ってより多くの患者に仕える強い力を下さいました。
恐怖の7分間
火星探査機「パーサヴィアランス」の関係者たちは、2021年2月18日、着陸時の「恐怖の7分間」を耐えていました。約4億7000キロメートルの旅を経て、この探査機は自ら複雑な着陸作業を行わなければなりません。火星から発信した信号が地球に届くには数分かかるため、着陸中の様子を把握することがNASAにはできないからです。多大な費用と労力をつぎ込んだ人々にとって、交信が途絶えることは恐怖でした。
探求の書シリーズ
父の自死とそれからの私
世界中で毎年七十万人近い自死者がいると推定されています。その亡くなったひとりひとりには家族や友人がいます。著者アルバート・シー氏もその一人です。 ここには、遺された人がたどる悲しみや苦しみの道、その只中で神がどのように寄り添い、生きていく力をくださるのかが、正直に丁寧に記されています。
祈りを教えてください
祈りはキリスト者にとって身近なものなのに、分からないことが多いと感じませんか。あきらめずに祈り続けるためには、助けが必要なことも多々あります。そういうわけですから、ひとりの弟子がしたように、「祈りを教えてください」と、イエスに願うところから始めてはいかがでしょう(ルカ11:1)。神は必ず、聖書を通して教えてくださいます。
恵み―神の贈り物
恵み。これはクリスチャンにとって大切な言葉です。神からの最高の贈り物である恵みの意味を本当に理解すれば、それが福音、つまりイエスが私たちの救いのためにしてくださったことの中心であると分かります。エペソ人への手紙2章1節から10節を共に学び、このみことばに示された素晴らしいメッセージを受け取りましょう。
驚くべき救い主の御名
名前は、人間関係において重要な意味があります。そして、神との関係においては名前がさらに重要です。著者ビル・クラウダーは、イザヤ書9章6節に記された「不思議な助言者」「力ある神」「永遠の父」「平和の君」という神の御名に注目し、これらの御名から、神はどのようなお方なのか、私たちが神を信頼できる根拠は何なのかを解き明かします。
さあ、祈りましょう―聖書のみことばで神に語りかける
聖書の祈りは、神からのすばらしい贈り物です。私たちは、イエスやモーセ、ダビデ、ヨブ、サムエル、イザヤ、エレミヤ、マリヤ、ペテロ、パウロ、その他の大勢の人たちが、どのように神に祈ったかを知ることができます。聖書の祈りは、私たちの祈りを助けてくれます。イエスも十字架の上でダビデの祈りを祈られました。
聖書の祈りを心から祈るなら、私たちは神のみそばに引き寄せられます。聖霊がいのちの息吹を、私たちの祈りと人生に与えてくださいます。さあ、祈りましょう。
イエスが描いてくださった祈りのための青写真
私たちと神との関係で、最も大きな問題点のひとつは、私たちの自己中心です。自分なりの方法で神により頼むことができる、と思っていることです。この身勝手な神頼みは、私たちの祈りに表れます。祈る人はたくさんいますが、神のみこころにそって祈る人は、そう多くはありません。神が望んでおられるように祈ること、これが、このテキストが取り組んでいることです。「主の祈り」は、最もよく知られた祈りです。何度も口ずさまれてきましたが、ほとんど理解されないままでした。ゴードン・コンウェル神学大学院の説教学の教授であり、聖書学者としてもよく知られているハドン・ロビンソンが、この混乱した状況にメスを入れ、祈りの青写真はイエスによって描かれていることを明らかにしました。この青写真は、二千年前そうであったように、現代の私たちにも適切な示唆を与えてくれます。
(A5版 40ページ)
神の臨在の中で―神と一緒に過ごす時間
日々の生活に追われて、神とともに過ごす時間がなおざりになってしまうことがあります。 聖書を読み祈るという習慣をつけていくためにはどうすればよいのでしょう。デニス・フィッシャー師が、実践的なアドバイスをしてくれます。これを読むならきっと、デボーションに新鮮さがよみがえり、あなたとの対話を待っておられる神と再びつながることができ
るでしょう。
父の自死とそれからの私
世界中で毎年七十万人近い自死者がいると推定されています。その亡くなったひとりひとりには家族や友人がいます。著者アルバート・シー氏もその一人です。 ここには、遺された人がたどる悲しみや苦しみの道、その只中で神がどのように寄り添い、生きていく力をくださるのかが、正直に丁寧に記されています。
祈りを教えてください
祈りはキリスト者にとって身近なものなのに、分からないことが多いと感じませんか。あきらめずに祈り続けるためには、助けが必要なことも多々あります。そういうわけですから、ひとりの弟子がしたように、「祈りを教えてください」と、イエスに願うところから始めてはいかがでしょう(ルカ11:1)。神は必ず、聖書を通して教えてくださいます。
恵み―神の贈り物
恵み。これはクリスチャンにとって大切な言葉です。神からの最高の贈り物である恵みの意味を本当に理解すれば、それが福音、つまりイエスが私たちの救いのためにしてくださったことの中心であると分かります。エペソ人への手紙2章1節から10節を共に学び、このみことばに示された素晴らしいメッセージを受け取りましょう。
驚くべき救い主の御名
名前は、人間関係において重要な意味があります。そして、神との関係においては名前がさらに重要です。著者ビル・クラウダーは、イザヤ書9章6節に記された「不思議な助言者」「力ある神」「永遠の父」「平和の君」という神の御名に注目し、これらの御名から、神はどのようなお方なのか、私たちが神を信頼できる根拠は何なのかを解き明かします。
さあ、祈りましょう―聖書のみことばで神に語りかける
聖書の祈りは、神からのすばらしい贈り物です。私たちは、イエスやモーセ、ダビデ、ヨブ、サムエル、イザヤ、エレミヤ、マリヤ、ペテロ、パウロ、その他の大勢の人たちが、どのように神に祈ったかを知ることができます。聖書の祈りは、私たちの祈りを助けてくれます。イエスも十字架の上でダビデの祈りを祈られました。
聖書の祈りを心から祈るなら、私たちは神のみそばに引き寄せられます。聖霊がいのちの息吹を、私たちの祈りと人生に与えてくださいます。さあ、祈りましょう。
イエスが描いてくださった祈りのための青写真
私たちと神との関係で、最も大きな問題点のひとつは、私たちの自己中心です。自分なりの方法で神により頼むことができる、と思っていることです。この身勝手な神頼みは、私たちの祈りに表れます。祈る人はたくさんいますが、神のみこころにそって祈る人は、そう多くはありません。神が望んでおられるように祈ること、これが、このテキストが取り組んでいることです。「主の祈り」は、最もよく知られた祈りです。何度も口ずさまれてきましたが、ほとんど理解されないままでした。ゴードン・コンウェル神学大学院の説教学の教授であり、聖書学者としてもよく知られているハドン・ロビンソンが、この混乱した状況にメスを入れ、祈りの青写真はイエスによって描かれていることを明らかにしました。この青写真は、二千年前そうであったように、現代の私たちにも適切な示唆を与えてくれます。
(A5版 40ページ)
神の臨在の中で―神と一緒に過ごす時間
日々の生活に追われて、神とともに過ごす時間がなおざりになってしまうことがあります。 聖書を読み祈るという習慣をつけていくためにはどうすればよいのでしょう。デニス・フィッシャー師が、実践的なアドバイスをしてくれます。これを読むならきっと、デボーションに新鮮さがよみがえり、あなたとの対話を待っておられる神と再びつながることができ
るでしょう。
父の自死とそれからの私
世界中で毎年七十万人近い自死者がいると推定されています。その亡くなったひとりひとりには家族や友人がいます。著者アルバート・シー氏もその一人です。 ここには、遺された人がたどる悲しみや苦しみの道、その只中で神がどのように寄り添い、生きていく力をくださるのかが、正直に丁寧に記されています。
祈りを教えてください
祈りはキリスト者にとって身近なものなのに、分からないことが多いと感じませんか。あきらめずに祈り続けるためには、助けが必要なことも多々あります。そういうわけですから、ひとりの弟子がしたように、「祈りを教えてください」と、イエスに願うところから始めてはいかがでしょう(ルカ11:1)。神は必ず、聖書を通して教えてくださいます。
恵み―神の贈り物
恵み。これはクリスチャンにとって大切な言葉です。神からの最高の贈り物である恵みの意味を本当に理解すれば、それが福音、つまりイエスが私たちの救いのためにしてくださったことの中心であると分かります。エペソ人への手紙2章1節から10節を共に学び、このみことばに示された素晴らしいメッセージを受け取りましょう。
驚くべき救い主の御名
名前は、人間関係において重要な意味があります。そして、神との関係においては名前がさらに重要です。著者ビル・クラウダーは、イザヤ書9章6節に記された「不思議な助言者」「力ある神」「永遠の父」「平和の君」という神の御名に注目し、これらの御名から、神はどのようなお方なのか、私たちが神を信頼できる根拠は何なのかを解き明かします。
さあ、祈りましょう―聖書のみことばで神に語りかける
聖書の祈りは、神からのすばらしい贈り物です。私たちは、イエスやモーセ、ダビデ、ヨブ、サムエル、イザヤ、エレミヤ、マリヤ、ペテロ、パウロ、その他の大勢の人たちが、どのように神に祈ったかを知ることができます。聖書の祈りは、私たちの祈りを助けてくれます。イエスも十字架の上でダビデの祈りを祈られました。
聖書の祈りを心から祈るなら、私たちは神のみそばに引き寄せられます。聖霊がいのちの息吹を、私たちの祈りと人生に与えてくださいます。さあ、祈りましょう。
イエスが描いてくださった祈りのための青写真
私たちと神との関係で、最も大きな問題点のひとつは、私たちの自己中心です。自分なりの方法で神により頼むことができる、と思っていることです。この身勝手な神頼みは、私たちの祈りに表れます。祈る人はたくさんいますが、神のみこころにそって祈る人は、そう多くはありません。神が望んでおられるように祈ること、これが、このテキストが取り組んでいることです。「主の祈り」は、最もよく知られた祈りです。何度も口ずさまれてきましたが、ほとんど理解されないままでした。ゴードン・コンウェル神学大学院の説教学の教授であり、聖書学者としてもよく知られているハドン・ロビンソンが、この混乱した状況にメスを入れ、祈りの青写真はイエスによって描かれていることを明らかにしました。この青写真は、二千年前そうであったように、現代の私たちにも適切な示唆を与えてくれます。
(A5版 40ページ)
神の臨在の中で―神と一緒に過ごす時間
日々の生活に追われて、神とともに過ごす時間がなおざりになってしまうことがあります。 聖書を読み祈るという習慣をつけていくためにはどうすればよいのでしょう。デニス・フィッシャー師が、実践的なアドバイスをしてくれます。これを読むならきっと、デボーションに新鮮さがよみがえり、あなたとの対話を待っておられる神と再びつながることができ
るでしょう。
自分らしく生きるシリーズ
脱・つながり孤独
人とつながるはずのSNSを使うことで孤独感が一層深まる、という人が増えているといいます。何という矛盾でしょう。孤独の良い面、悪い面とは、どのようなものでしょう。どのようにSNSを活用すれば、「つながり孤独」に陥らずにすむのでしょう。いっしょに考えましょう。
空気を読まないのは悪いこと?
あなたが感じる息苦しさは、日本社会の「空気の支配」と関係していますか。「空気を読めない」ことは、そんなに悪いことなのでしょうか。空気の支配から自由になるには、どうすればよいでしょう。不健全な支配に縛られないコミュニティーを共に作るために、いっしょに考えましょう。
脱・つながり孤独
人とつながるはずのSNSを使うことで孤独感が一層深まる、という人が増えているといいます。何という矛盾でしょう。孤独の良い面、悪い面とは、どのようなものでしょう。どのようにSNSを活用すれば、「つながり孤独」に陥らずにすむのでしょう。いっしょに考えましょう。
空気を読まないのは悪いこと?
あなたが感じる息苦しさは、日本社会の「空気の支配」と関係していますか。「空気を読めない」ことは、そんなに悪いことなのでしょうか。空気の支配から自由になるには、どうすればよいでしょう。不健全な支配に縛られないコミュニティーを共に作るために、いっしょに考えましょう。
脱・つながり孤独
人とつながるはずのSNSを使うことで孤独感が一層深まる、という人が増えているといいます。何という矛盾でしょう。孤独の良い面、悪い面とは、どのようなものでしょう。どのようにSNSを活用すれば、「つながり孤独」に陥らずにすむのでしょう。いっしょに考えましょう。
空気を読まないのは悪いこと?
あなたが感じる息苦しさは、日本社会の「空気の支配」と関係していますか。「空気を読めない」ことは、そんなに悪いことなのでしょうか。空気の支配から自由になるには、どうすればよいでしょう。不健全な支配に縛られないコミュニティーを共に作るために、いっしょに考えましょう。