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怖がりの魚

海水魚の世話は大変です。例えば、水質試験紙を使って水中の硝酸やアンモニアなどの濃度を常に管理しなければなりません。ビタミンやミネラル、水質調整剤などを入れ、グラス・ファイバーや活性炭で水をろ過しなくてはなりません。こんなに世話を焼いているのですから、水槽の魚たちは私に感謝してくれてもよさそうなものですが、とんでもありません。餌をやろうとして近づき、私の影が水面をおおうやいなや、魚たちは慌てて物影に隠れます。

魚たちにとって、私は大きすぎるのです。私の行為は、彼らの理解を超えています。私の行為がいかに慈愛に富んでいるか、彼らには分かりません。それを分からすためには、私が魚にならなければなりません。私が魚になって水槽に入り、魚に分かる言葉で伝えてやらなければなりません。しかし、そうすることは不可能です。

ところが聖書によるなら、宇宙の創造主である神は、その不可能を可能にされました。神は人間の赤子の姿になって、この世に生まれてこられました。ヨハネの福音書は、「世はこの方によって造られた」のに、「世はこの方を知らなかった」と記しています(ヨハ1:10)。この世界を創造された神は、まるで劇作家が自作の劇の登場人物になるように、この世界の一部になられました。神は、実在の人物たちや実際の歴史の流れを用いて、ご自分の物語を造られました。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」のです(14節)。

神は人類の歴史に入り込んで 永遠のいのちという賜物を与えてくださった。
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