1年で聖書を!
◆ ヨブ記30-31
◆ 使徒13:26-52
聖書のみことば ヨハネ15:9-17
 
父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。……あなたがたが行って実を結び、―ヨハネ15:15-16

友情とは、相手の心を知り、自分の心を打ち明けることだ、と定義する人がいます。私たちは自分を大切にしてくれる人を信頼し、信頼した人には心を打ち明けます。その内容を私たちの害ではなく、益になるように用いてくれると信じるからです。また、相手も同じように私たちを信頼して、心を打ち明けてくれます。

私たちは、よくイエスを「友」と呼びますが、それはイエスが、私たちにとっての最善を願っておられると知っているからです。私たちはイエスに何でも打ち明けます。イエスを信頼しているからです。
 

ところであなたは、イエスはご自分の民を信頼しておられる、ということについて考えたことがありますか。
 
イエスは「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません…わたしはあなたがたを友と呼びました」と言われました(ヨハ15:15)。なぜなら天の御父から聞かれたことをみな、弟子たちを信じて知らせたからです。

私たちはイエスが自分の「友」であると分かっていますが、私たち自身はイエスの「友」と言えるでしょうか。イエスに耳を傾けていますか。それとも、自分のことばかりを話していますか。イエスの御心を知りたいと願っていますか。それとも、自分の心を知って欲しいとばかり思っていますか。イエスの「友」であるためには、イエスが知って欲しいと思われることに耳を傾け、その内容を用いて、イエスと友情を培うように人々に勧めなければなりません。

(Julie Ackerman Link)

キリストの友情は私たちの忠誠を求める。