1年で聖書を!
◆ エレミヤ書37-39
◆ ヘブル3
◆ エレミヤ書37-39
◆ ヘブル3
聖書のみことば 黙示録1:9-17
その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。―黙示録1:15
ブラジルに行ったとき、世界三大瀑布(ばくふ)のひとつ、イグアスの大瀑布の見学に行きました。それは息を飲むほどの絶景でしたが、一番心に残ったのは、滝の景観でもものすごい水しぶきでもありません。それは音です。その大音響は「耳をつんざく」という表現を超えていました。まるで自分が音の中にすっぽり入ったかのようで、自分がいかに小さな存在か、それを思い知らされる圧倒的な体験でした。
その後、私はヨハネの黙示録1章15節のみことばを、この体験を踏まえて考えるようになりました。ヨハネはパトモス島で復活のキリストの幻を見て、復活された栄光のキリストを描写しました。その風貌がどのようであられたか、どんな衣を着ておられたかなどです。また、キリストの御声が「大水の音のよう」だったとも述べています(15節)。
イグアスの大瀑布に行く前は、その意味が十分わかっていませんでした。雷鳴のような大音響に圧倒され、大水の威力におそれを感じて、ヨハネはキリストの足もとに倒れて死者のようになりましたが(17節)、私は、その理由がよく理解できるようになりました。
この聖書個所に記されているキリストの描写は、イエスの臨在が畏怖の念を喚起することを分からせてくれます。そして、ヨハネのようにひれ伏して、この救い主を礼拝しなくてはならないと思わせてくれます。
本当の礼拝は、キリストを褒める気持ちを、キリストを崇拝する気持ちに高めてくれる。
トピック:
賛美/礼拝