1年で聖書を!
◆ 哀歌1-2
◆ ヘブル10:1-18
◆ 哀歌1-2
◆ ヘブル10:1-18
聖書のみことば Ⅰペテロ3:8-17
たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。
―Ⅰペテロ3:14
―Ⅰペテロ3:14
地元の病院で診察を待っていたとき、十字架のキリスト像が壁にかかっていることに気づきました。しばらくして看護師が問診にやって来ましたが、質問の中には「病院のチャプレンに相談したい霊的な問題がありますか」という問いもありました。私は、「尋ねてくださってありがとう」と答えました。これは今の世の中では珍しい質問です。彼女は微笑みながら、自分たちの病院は信仰を基盤にしており「霊性のケアは使命のひとつです」と語りました。この人たちは社会がますます多元的で世俗的になる中、恐れることなく自らの信仰を公言しています。私は、そのことに感銘を受けました。
使徒ペテロは迫害によって散り散りになり、反キリストの世の中で暮らしていた当時のクリスチャンたちに、次のように語りました。「いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい」(Ⅰペテ3:14-15)。義のために苦しむことを祝福と思いなさい、と教えたのです。
自分たちの信仰を堂々と述べた病院の女性のように、私たちも自分の信仰を表明することができます。そして、キリストを信じていることを批判されたり、それによって不当な扱いを受けたりすることがあったなら、私たちの応答は温和で敬意を失わないものであるべきです。私は主にあって私です。それを不安に感じる必要は、決してありません。
キリストのために苦しむほうが、キリストを苦しませる原因になるより良い。