1年で聖書を!
◆ 創世記37-39
◆ 創世記37-39
聖書のみことば Ⅱコリント5:12-21
わたしは光として世に来ました。―ヨハネ12:46
友人のアナは、よく道を聞かれます。外国にいるときでもそうなのです。正直そうに見えるのかしら、と彼女は言いました。あなたは行くべき道が分かっているように見えるんじゃない、と私は言い、他の友達は、アナは迷い人を惹きつける雰囲気があるのかもしれないと言いました。
上記の特質が信仰に関することであるなら、それら全部がクリスチャンに必要な特質だと言えます。キリストを信じる者は、生きる目的や生きる方向性を持っていなければなりません。どこへ行くのか分かっているべきですし、どうやってたどり着くかも知っていなければなりません。私たちはそれぞれ、神に与えられた使命を果たそうと歩んでいますが、この知識は、そんな私たちの歩みを確かなものにしてくれます。また、私たちが自信を持って歩んでいると分かるなら、迷っている人たちは、方向性を示して欲しいと私たちに求めるようになるでしょう。
人が神を見つけられるように、神は常に誰かを備えておられました。初めの世の光は、イスラエルの民でした(イザ42:6)。そしてソロモン王は、神の偉大な御名が人々を神に惹きつけるように、と祈りました(Ⅰ列8:41-43)。ユダの人たちの存在の意味を完結させたのがイエス・キリストでした。イエスはまさに「世の光」でした(ヨハ9:5)。今日では、イエスに従う人たちが「世の光」です(マタ5:14)。そういうわけで、神と和解する道を示すことは、私たちに課せられた責任です(Ⅱコリ5:18)。
罪の暗闇から人々を導くために、あなたの光を示しなさい。
トピック:
証