1年で聖書を!
◆ Ⅰ列王記1-4
聖書のみことば ルカ19:1-10
 
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。―ルカ19:10

アレン・ファントがプロデュースした「どっきりカメラ」というテレビの人気番組がありました。予期しない状況に遭遇した普通の人が、滑稽な反応をする様を隠しカメラで撮影するというものです。アレンの息子ピーターは、この番組制作の姿勢について次のように語っています。「私たちは、人間はすばらしいと信じており、それを裏付けようとしました。」また、他の類似番組は、人間の愚かしさを強調することを追及しているようだ、とも言いました。彼のコメントが指摘しているのは、人をどう見るかが、人をどう扱うかを決めるという点です。

エリコの住民は、イエスが取税人ザアカイの家に入ったのを見て腹を立てました。「これを見て、みなは、『あの方は罪人のところに行って客となられた』と言ってつぶやいた」のです(ルカ19:7)。けれども、ザアカイは回心し(8節)、イエスはこう言われました。「きょう、救いがこの家に来ました。…人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」(9-10節)。

私の友人のボブは「人生の落後者だと思って見ると、その人をそのように扱ってしまうが、人生に迷った人だと思って見るなら、思いやりを持って接することができる」と言いました。

イエスは人生の落後者として人を見たりされません。愛すべき迷子として、その人をご覧になります。あなたはどうですか。どんな人として、その人を見ていますか。

(David McCasland)

見つけてもらった人は、今も迷っている人を捜してあげるべきだ。