1年で聖書を!
◆ エレミヤ書37-39
聖書のみことば ヨハネ6:25-29
 
わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。―ヨハネ6:35

シンガポールに住む友人が、昔ながらの中国式挨拶を教えてくれました。人々は、「お元気ですか」と言うかわりに、「おなかいっぱい召し上がりましたか」と尋ねるといいます。食べ物が十分になくて、次はいつ食べられるのか分からない時代があって、このようになったのでしょう。食べられるときは満腹になるまで食べるというのが、その時代では賢いことだったのでしょう。

イエスが5つのパンと2匹の小さな魚で5千人の腹を満たすという奇蹟を行われると(ヨハ6:1-13)、群集はさらなる食べ物を求めてイエスについて来ました(24-26節)。主は彼らに言われました。「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。…わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません」(27、35節)。

イエスに従うクリスチャンは、十分に食べることのできない人たちを助けるべきです。そして、主イエスを知るならば、罪の赦し、平安、そして希望に対する飢え渇きが満たされるという福音をすべての人に伝えることもできます。

いのちのパンであるイエス・キリストは、ご自分のもとに来て祝宴にあずかりなさいと、私たちのたましいを招いてくださいます。満腹するまで食べなさいと促してくださいます。

(David McCasland)

誰の心にも渇望があり、イエスだけがそれを満たすことができる。