私の仕事場の向かい側のとうもろこし畑には、不思議な光景があります。農場主は一帯の木を切り倒してとうもろこしを育てているのですが、不思議なことに、畑の中に1本だけ木が残っていて大きく枝を広げています。しかし、謎が解けました。その木には目的があったのです。

農家の人たちには、畑に一本だけ木を残す伝統があるそうです。熱い太陽が照りつけるときに、自分たちや動物が休息する涼しい場所を残しておくためです。

自分だけが生き残った理由がわからない、という人に会うことがあります。戦争から帰ってきた兵士、災害の被害者、重病に見舞われながら死線を越えて生き残った人たちは、他の人は生きられなかったのに、なぜ自分は助かったのだろうかと葛藤すると言います。

ユダの人たちはかつて捕囚になりました。旧約聖書は、神に守られて生き残った人たちについて述べています。生き残った人たちは、神の律法が失われないように守り、神殿を建て直しました(エズ9:9)。使徒パウロは自分のことを、恵みによって「残された者」だと語ります(ロマ11:1、5)。パウロは神のメッセージを異邦人に伝えるために残されたのです(13節)。

他の人が倒れてしまった場所で自分が立たされているなら、それは天に向かって手をあげて神をほめたたえるためです。また、人に向かって手を広げ、弱い人を助けるためです。私たちは神によって、他の人が休むための木にしていただくことができます。