キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。—ローマ6:4

癌を宣告されたとき、医者の言葉を聴こうとしましたが耳に入りませんでした。家に帰ると、頭まで毛布をかぶって眠りました。悪い夢ならさめてほしいと願いながらです。

何とか気を取り直してそのことを親しい人に告げたとき、友人のジュディーは同情してくれましたが、次のようにも言いました。「これから、こういうことが起こるのよ。まず3 日間は、すごく落ち込むわ。その後、しゃきっとして、すべきことは何かを考えるようになるの。それから、淡々とそれをこなして毎日を生きていくのよ。」さらに続けて、こうも言いました。「これは、死、葬り、復活と関係していると思うわ。」

私は当時、彼女の言葉を信じませんでした。私が思うところの人生は、もう終わったと確信していました。何もかもが変わってしまって、普通の自分でいられるなどとは想像さえできません。けれども、彼女が正しかったのです。3 日目の朝に目を覚ました時、それほど気分が悪くないことに気づきました。それから、化学療法のために身体はつらくても、感情面と霊的な面においては少しずつ改善し、かなり良い線をいくようになりました。私は古いリアリティーに「死」に、新たな「普通」のなかに「復活」したのです。

感謝すべきことに、神は復活の神です。キリストを信じて死んだ人々にとって、死という現実は、栄光に満ちた新しい「普通」の中に復活することを意味します。ですから、私たちは「いのちにあって新しい歩みをする」(ロマ6:4)ことができるのです。 Julie Ackerman Link

「キリストにあって」生きることは、イエスの人生、死、そして復活を分かち合うことだ。

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