そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。—マタイ28:17
自分の経験から、死んだ人は戻ってこないと分かっています。愛する人を亡くした悲しみの中心にあるものは、この世で二度と会えないという辛い現実です。私たちは葬式に参列して、亡くなった人を偲び、遺族と悲しみを共にします。帰り際に死んだ人が出口で見送ってくれるとは思いません。
それを思うと、イエスの弟子たちが、初めは疑ったのも無理はありません。イエスは死からよみがえられました。天使や空っぽの墓、そしてイエスご自身を見た(マタ28:1-10)という女たちの証言に続いて、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登りました。聖書は、「そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った」(16-17節)と記しています。
主の一番近くですばらしい教えを聞いたり、力強い奇跡を目の当たりにしたりした彼らでさえ、何人かはイエスのよみがえりを疑いました。しかし、その正直な疑いは、よみがえられた主、という現実をしっかりと受け止められたとき、すぐさま喜びと希望に変わりました。
私たちは、主に対して疑いを持っていないでしょうか。自分の経験から、過去の過ちや現在の葛藤、また将来の展望などは、変わらないと思い込んでいませんか。新しい気持ちでイースターを迎え、主に不可能なことはないと信じませんか。David McCasland
カルバリの丘に目を向けるなら疑いは消える。
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