私たちが神の子どもと呼ばれるために、──事実、いま私たちは神の子どもです──御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。—Ⅰヨハネ3:1
小林(仮名)の辛い日々は家庭から始まった。父親はすぐにカッとなり暴力をふるう人だった。記憶に残っているのは、母親を人前で殴りつける父親の姿。迎えに来るのがほんの少し遅れたことが理由だった。兄は、2階の階段から父親に投げ飛ばされた。
「家はくつろげる場所ではありませんでした。とにかく父が恐ろしくて…。いつかひどい目に遭わされるのではといつもビクビクしていました。」当時、小林はクリスチャンではな かったが、父親を救ってくださいと毎日神に祈っていたという。けれども、神からの明確な答えは得られなかった。
辛いのはそれだけではなかった。アメリカで生まれ3歳で帰国した彼は、日本語がたど たどしかった。それが原因で、学校ではよくいじめられた。小林が理解できないのをいいことに、同級生は日本語で彼を口汚くののしった。あるときは、上級生たちからトイレに呼び出され、ボコボコになるまで木刀で殴られた。「学校に行くのは恐怖以外の何物でもありませんでした。」
小林は12歳で不良グループの仲間に入った。学校に行かず、タバコやお酒、ドラッグにも手 を出した。不良グループに入ったのは、けんかをするためだった。他の不良グループのメンバーと一対一で殴り合い、あごを4針縫うけがをしたこともある。相手も血まみれになった。
「こんなことをしていても何にもならない。人生にはもっと何かあるはずだ、と心の奥底ではわかっていました。けれども、神様に助けを求めることはできませんでした。神様を恨んでいたのです。」
それでも神は、小林を見捨てられなかった。彼は15歳のとき、バイクの窃盗容疑で逮捕された。父親は警察署で息子を見るなり、「この恥さらしが」と言った。彼はとうとう切れた。「いつも人を殴っていたのはオヤジだろう。オヤジに俺を叱る権利なんかない」とわめいた。母親は途方に暮れ、知り合いの宣教師宅で小林を預かってもらうことにした。そこで教会に通ううちに、K牧師と出会った。
K牧師は他の人とはどこか違った。小林の過去を知っても、他の人たちのように白い目で見ず、励ましてくれた。
「K先生は本物でした。先生からは愛と喜びが満ち溢れていました。私のことも、息子のようにかわいがってくれました。」
小林は16歳のとき、初めて聖書を開いた。そして、ヨハネの手紙第一3章1節を読んでイエスを信じようと決心した。神は私たちを神 の子とする目的で私たちを愛された、という一節だ。神の愛に心を掴まれ、世界が違って見えた。「イエス様を受け入れて、すべてが変 わりました。もう後戻りはしません。」タバコとドラッグを完全に断つことができたのもこの頃だった。そして、K牧師のような牧師になりたいという目標も見つけた。
その後、小林は高校卒業を目指してマレーシアに渡った。そこで、父親との関係について何度も神に示された。ある冬、学校の休暇で帰国した小林は、父親を赦し、父親にも赦しを求めた。父子で抱きしめあい、「愛している」とも言った。高校卒業後、大学、そして神学校へ進み、教会教職者の修士号を取得した。彼は現在、アメリカで牧師として神に仕えている。兄弟も皆、イエスを信じ、それぞれ 牧師、宣教師、神学校の教師として働いている。父親も、5年前にキリストを受け入れた。
「私は、羊の群れを飼うように神に召されたと信じています。全身全霊で神の御名とみ ことばを人々に伝えたいです。そして、多くの人が救われ、洗礼を受け、教会に加わっていくことが、私の夢です」と小林は言う。