今、そして永遠に
不死は古今東西、太古より求めて未だ叶わぬ願いです。しかし、キリストを信じるなら、永遠のいのちを手にします。
神の元々の計画は、人が永遠に生きることでした。アダムとエバが食べてもよかった木の実には、永遠のいのちの木の実も含まれていたのですから(創世記2:15)。ところが、彼らは唯一禁じられていた木の実を、わざと食べてしまいました。その結果、永遠の家から追放され(創世記3:23)、死が入り込んだのです(コリント人への手紙第一15:21)。にもかかわらず、神は、人とともに永遠に生きることを願われました。聖書は「以前は遠く離れていたあなたがたも、今では、キリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです」と語ります(エペソ2:13-14)。ですから、私たちは、神の家で神と永遠に過ごすことができます(ヨハネ14:2-3、23、ヨハネの黙示21:3)。
永遠のいのちとは、いのちが続くということだけではありません。量というより質の違い、すなわち、唯一無二の神とイエスを知りつづけるということです。ヘブル語で「知る」というと親密な関係を意味します(申命記30:6、エレミヤ31:33-34)。永遠のいのちは将来にいただく遺産であるとともに(ヨブ19:26、ヨハネ5:28-29、ヨハネの黙示22:14)、今、ここにあるものです(ヨハネ5:39、6:47-51)。今日から始めることができます。
神を愛して神に従う人生を、今日からとこしえに味わうことができます。それは 何という特権であり、何という責務でしょう。
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