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愚かな金持ち―ルカ12章

ハドン・ロビンソン博士はたぐいまれな洞察力で「英語圏でもっともすぐれた12人の説教者」のひとりに選ばれた神の器です。私たちの中で、お金に関心の無い人がいるでしょうか。また、自分の人生の目的について関心の無い人がいるでしょうか。このふたつは無関係ではありません。富を蓄える行為の価値を見定めるとき、自分はいずれ死ぬという事実に照らして考えなければならないと、ロビンソン博士は教えます。このメッセージを聞きながら、神の前に富むとはどういうことか、みことばの真意を考えましょう。

どこにいても毎日、神に近づく

「デイリーブレッド」は、いつどこでも神のみことばを読むことができるように、あなたを助けます。

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神は、あなたを見放さない

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私の光、私の救い

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神…

神とは

文化や伝統の影響を受けて、様々な神観が存在しています。神は人格の無い大きな力だという説、背後霊、土地の神、国や民族の神というように影響を及ぼす範囲が限定されているという説、また、神は人の心の産物で、元来存在しないという考え方もあります。こういった考えの中で、キリストを信じる人は自分たちの神をどのような存在だと言っているのでしょう。

ヨハネの福音書3章16節は「神は…」で始まっています。すなわち、神の存在が当然のこととして述べられています。また、神は存在するだけでなく、万物の創造主であると断言しています(創世記1:1)。また、人は神のかたちに創造されたと言うのですから(創世記1:27)、神は人格のあるお方です。これは注視すべきことです。

では、人格のある神とは、どういう意味でしょう。それは、人の気持ちを分かってくださり、心を通わせることのできる神、という意味です。聖書は、「神があなたがたのことを心配してくださる」(ペテロの手紙第一5:7)と語ります。また、人がご自分のもとに来ることを懇願していると述べています(コリント人への手紙第二5:20)。何と素晴らしいことでしょう。

神は人に背かれていたときでさえ、和解の手を差し伸べておられました。私たちは、罪の呪いのもとで絶望する必要はありません。神は自ら人間を救おうと動いてくださいました。

私たちの神とは、そういうお方です。この神を語り告げるのは、何という特権でしょう。

 

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そのひとり子

最高の贈り物

神が本当に愛していると、どうして分かるでしょう。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」の原文はギリシャ語ですが、そこでは「神の子、唯一の我が子、神は与える」となっていて、与えたものの大きさが強調されています。 また、「ひとり子」(ヨハネ1:14, 18)は、「比類ない、特別な」という意味です。しかし、神のひとり子とは誰なのでしょう。

ヨハネの福音書は冒頭で「ことば」が神ご自身だと宣言しています(ヨハネ1:1-4)。「ことば」は人となって、私たちの間に住まわれましたが(ヨハネ1:14、マタイ1:23)、それは、私たちを救うためでした(マタイ1:21、ヨハネ3:17、ヨハネの手紙第一4:14)。福音書を読み進むと、そのお方はイエスだと分かります。そして、イエスは「わたしと父とは一つです」(ヨハネ10:30)とか、「わたしを見た者は、父を見たのです」(ヨハネ14:9)と言われて、ご自分が神だと教えておられます。

自分自身をささげる以上の贈り物があるでしょうか。神のなさったことは、そういうことです。神は、ご自分のすべて、いのちさえ私たちにくださり、神の愛の大きさを示してくださいました(ヨハネ15:13、ローマ5:6-8、ヨハネの手紙第一4:9-10)。イエスの人生は、神の計り知れない愛を表しています。

イエスこそが、最高の贈り物です。言葉に表わせないほどの尊い贈り物のゆえに、神に感謝します(コリント人への手紙第二9:15)。

 

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お与えになった

愛を行動で示す

女の子が恋人に「私を愛している?」と訊くと、彼は「もちろん!」と答えました。「じゃあ、私のために死ねる?」と尋ねると、彼は「僕の愛は、死なない愛だよ」と答えたそうです。この奇妙なユーモアは、ふたつのことを表しています。ひとつは、本当の愛は口先ではなく行動だということ、そしてもうひとつは、最高の愛は自己犠牲だということです。感謝なことに、神の愛は口先だけではありません。それは行動で示されました。

その行動の目的は、「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである」(ヨハネ3:17)と説明されています。神は、ご自分のひとり子を天から下らせただけではなく、そのお方に果たすべき使命を与えられました。 それは、私たちを生かすために、私たちの身代わりとして死ぬことです。神の愛とは、何と深い愛なのでしょう。

その愛にお答えするにはどうすれば良いでしょう。キリストに贖っていただいた人たちは、「主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加え」ることで、神の愛に応えていきましょう(コロサイ1:10)。

 

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普遍的な愛

神の愛の対象は何だと思いますか。ヨハネの福音書3章16節によると、それは「世」です。これは当時のユダヤ人にとって衝撃的なニュースでした。彼らは、自分たちだけが神に愛されているという選民思想を持っていて(申命記7:6-8)、他の民族にはかかわりたくないと思っていました。しかし、神は全世界を愛しておられ、すべての民族を救いたいと願っておられました(創世記12:3、イザヤ65:2)。ヨハネが「世」というとき、それは罪に汚れた人間の社会を意味します(ヨハネ1:10、7:7、14:17、15:18-19)。要するに、神の愛は、ユダヤ人からすべての民族、部族、国民、そして罪人に及びます。ヨハネはこのことを、当時の読者たちに(そして私たちにも)分かって欲しいと考えました(ヨハネの黙示録5:9)。

神の愛は普遍的で、えこひいきはありません。神はすべての人を愛しておられます。私たちはどんな人に対しても、「神はあなたを愛しておられます」と言うことができます。そして、御子イエスを信じて罪を離れ、神の愛を体験しましょうと勧めることができます。

神はご自分の愛を届けたいと熱望しておられます。あなたを通して、あなたの周りの人を愛したいのです。あなたは神に協力しますか。それなら今、自分の置かれた場所で始めましょう。職場や学校、家の近所で神に用いられましょう。

 

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