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Philip Yancey

Philip Yancey

フィリップ・ヤンシー氏は、「この驚くべき恵み」や「痛むとき、神はどこにいるのか」をはじめ、多くの著書を世に送り出しています。妻ジャネットとともに、コロラド州エバーグリーンに住んでいます。

寄稿一覧 Philip Yancey

恐れるな!

聖書の中で天使が現れるとき、第一声は必ずといってよいほど「恐れるな」です。超自然のものに遭遇する時、人は恐れ戸惑います。しかしルカの福音者に書かれているのは、恐れさせることなく人に現れてくださる神の姿です。馬小屋で生まれ、飼葉おけに寝かされ、イエスは私たちが決して恐れることがない方法でこの世に来られました。生まれたばかりの赤ちゃんほど、恐れと縁遠いものはあるでしょうか。

神は語られる

この世の苦しみの理由について、あらゆる議論がなされますが、ヨブの助けにはなりません(ヨブ記)。その理由は、ヨブの問題は信仰ではなく関係の危機だったからです。ヨブは神を信頼できるでしょうか。彼の願いはただひとつ。己のみじめな運命を説明できるお方にまみえることでした。

沈黙を破って

神は旧約聖書の終わりで隠れてしまわれたようでした。ユダヤ人は4世紀の間、戸惑いながら待っていました。神は消極的で無関心、彼らの祈りを聞いておられないようでした。昔、メシヤを約束してくださったことだけが唯一の希望です。ユダヤ人はこの約束にすべてを賭けました。そして重大なことが起こりました。赤子の誕生が知らされたのです。

一番大切な理由

恵みの賜物:神が私のためにいらっしゃった

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。—Ⅰヨハ4:9

イエスは、神についての私のあやふやな考えを直してくださいます。神が私たちを探し求めに来てくださること、自由意志を与えてくださること、そして何よりも神が愛であることに目を開かせてくださいます。

クリスチャン文化に慣れ育った人にとって、イエスのメッセージは衝撃的な内容だと言われても、ピンとこないでしょう。しかし、人間と神々との関係を説明する上で、愛を持ち出すのは普通ではないのです。アリストテレスは、「人がゼウスを愛するというのは奇妙だ」と言い切りました。裏返せば、ゼウスが人間を愛するのも同様に奇妙だというのです。それに比べて、キリスト教の聖書は、愛ゆえにイエスはこの世に来られたのだと説き明かし、「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです」(Ⅰヨハ4:9)と教えます。

ある日、私が空港で搭乗便を待っていた時のことです。当時私は「神に失望したとき」という本を執筆中で、人々の悲しみや疑い、叶えられなかった祈りなどに重荷を感じていました。

たまたま同じ会議に向かっていた友人のカレンは、私の話をじっと静かに聞いてくれていましたが、突然こう言いました。「フィリップは、ただ素直に神の愛を受けたことある?大事なことだと思うんだけど。」

その時私は、クリスチャンの信仰で一番大切なことを忘れていたのに気づきました。イエスの物語は、愛の物語です。そう、それには痛みも失望も含まれます。しかし、イエスが、わが子らを神の国に戻すためにどんな事でもしてくださる父なる神の約束を体現しておられます。 PHILIP YANCEY

愛ゆえ神ご自身が、人となってこの世に来られた。 WALVOORD


聖書のみことば:Ⅰヨハネ 4:1–9

1愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。2人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。3イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。4子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。5彼らはこの世の者です。ですから、この世のことばを語り、この世もまた彼らの言うことに耳を傾けます。6私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、私たちの言うことに耳を貸しません。私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。7愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。8愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。9神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

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一番大切な理由

聖書のみことば:Ⅰヨハネ 4:1-9

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。—Ⅰヨハ4:9

イエスは、神についての私のあやふやな考えを直してくださいます。神が私たちを探し求めに来てくださること、自由意志を与えてくださること、そして何よりも神が愛であることに目を開かせてくださいます。

クリスチャン文化の中で育った人にとって、イエスのメッセージは衝撃的な内容だと言われても、ピンとこないでしょう。しかし、人間と神々との関係を説明する上で、愛を持ち出すのは普通ではないのです。アリストテレスは、「人がゼウスを愛するというのは奇妙だ」と言い切りました。裏を返せば、ゼウスが人間を愛するのも同様に奇妙だというのです。それに比べて、キリスト教の聖書は、愛ゆえにイエスはこの世に来られたのだと説き明かし、「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです」(Ⅰヨハ4:9)と教えます。

ある日、私が空港で搭乗便を待っていた時のことです。当時私は「神に失望したとき」という本を執筆中で、人々の悲しみや疑い、叶えられなかった祈りなどに重荷を感じていました。

たまたま同じ会議に向かっていた友人のカレンは、私の話をじっと静かに聞いてくれていましたが、突然こう言いました。「フィリップは、ただ素直に神の愛を受けたことある?大事なことだと思うんだけど。」

その時私は、クリスチャンの信仰で一番大切なことを忘れていたのに気づきました。イエスの物語は、愛の物語です。そう、それには痛みも失望も含まれます。しかし、イエスが、わが子らを神の国に戻すためにどんな事でもしてくださる父なる神の約束を体現しておられます。

愛ゆえ神ご自身が、人となってこの世に来られた。WALVOORD

良き地球

アポロ8号が1968年に月を周回していたとき、乗組員ビル・アンダースは月について「不吉な地平線…荒涼として冴えない場所」だと語り、乗組員たちは創世記1章1節から10節までを順番に読みました。そして10節の「神はそれを見て良しとされた」の後、フランク・ボーマン船長が「良き地球の皆さん、神の恵みがあなたがたとともにありますように」と語りました。

共同体を作る

コミュニティーすなわち共同体とは、一番苦手な人が必ずいる所だとヘンリ・ナウエンは語ります。私たちは馬が合う人たちに囲まれてやって行こうとしますが、それは仲良しクラブで共同体ではありません。仲良しクラブを作るのは簡単ですが、共同体を作るためには、思いやり、共通のビジョン、そして労苦が不可欠です。

心配しておられるのか

聖書のみことば:マルコ14:32-42

イエスは深く恐れもだえ始められた。そして彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。」——マルコ14:33-34

ある年、3人の友人が次々に亡くなりました。初めのふたりの死が3人目を送る体験を楽にしたかというと、そんなことはありません。しかし、ラザロの死に涙されたイエスを思うと慰められます(ヨハ11:32-36)。というのは、神も私の友人を愛しておられたのですから、その死をどう感じておられるか、それを知る手がかりになるからです。

イエスはゲッセマネの園で「主よ、あなたが私を選んであなたのために苦しみを受けるようにされたことを感謝します」とは祈られませんでした。むしろ、悲しみ、恐れ、見捨てられること、そして絶望に近づくことを体験されました。ヘブル人への手紙は「死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって」(ヘブ5:7)訴えたと記しています。

イエス自身が私たちを悩ませる疑問、つまり「神は心配しておられるだろうか」という疑問をもったと言ったら言いすぎでしょうか。「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか」(詩22:1、マコ15:34)という詩篇の引用には、他にどんな意味があるでしょう。

しかし、イエスは耐えました。父なる神は愛の神で、そのときの事態がどのように見えたとしても信頼することのできるお方だと知っていたからです。イエスは「神は心配しておられるだろうか」の問いに対し、その究極的な答えが「はい」であることをはっきりと実証されたのです。

神の御手がすべてを治めておられると知るなら、その神の御手にすべてを委ねることができる。

完璧な恵み

完璧な理想と完璧な恵み。イエスの教えは一見、矛盾しているかのようです。イエスは「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい」(マタイ5:48)と、金持ちの青年におっしゃいました。最も大切な戒めは何かと問われると、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」(22:37)と答えられました。これが神の水準で、これらを完全に守れる人はいません。