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なぜ、働くのか

1年で聖書を!
◆ 哀歌1-5
聖書のみことば エペソ6:5-9
 
人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い、―エペソ6:6

クリストファー・レン卿は、1660年後半、ロンドンのセント・ポール大聖堂の再設計を委任されました。伝説によると、この大事業の工事現場を訪れたとき、現場の労働者は誰ひとりとして、彼がクリストファー・レンだとは気づかなかったそうです。彼は、一人ひとりに何をしているのか尋ねながら歩きました。最初の人は「石を切っています」と答え、2人目は「5シリングと2ペンスの日銭を稼いでいます」と言いました。しかし、3人目の見解はかなり違っていました。「私は、神の栄光のために偉大な大聖堂を建てようとしているクリストファー・レン卿の手伝いをしています」と答えました。何ということでしょう。この人の態度や意欲は、他の人とは大違いでした。

なぜそれをするのか、ということは非常に重要です。それが自分の職業ならば、特にそうです。そういうわけで、パウロはエペソの教会の人たちに、「人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい」と、仕事について教えたのです(エペ6:6-7)。

単に給料を稼ぐためや上司に認められるために働いているのなら、その職業意識はクリスチャンのあるべき姿ではありません。職場は、神への献身の証拠として自らの最善を尽くす場です。前述の労働者が語ったように、私たちは「主の栄光のために」働きます。

(Bill Crowder)

雇い主が誰であろうと、あなたは実際には神の下で働いている。