嘆き悲しむべき時
聖書にはこう書いてあります。「泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある」(伝道者の書3:4)。津波被害のただ中にある今は、泣く時、嘆く時です。
聖書の中には、悲しみの歌がたくさんあります。神の忠実な民が自分たちの状況を嘆き、なぜ神はこのようなことが起こるのを許されるのかと、疑問を投げかけています。これらの歌には、個人的に苦しみの中にある人々の歌と、国を愛する人々が国にふりかかっている災いを見て嘆いている歌があります。旧約聖書の「哀歌」では、一巻の書簡を通して、民の苦しみに対するエレミヤの嘆きがつづられています。
エレミヤはこう叫んでいます。「ああ、私の頭が水であったなら、私の目が涙の泉であったなら、私は昼も夜も、私の娘、私の民の殺された者のために泣こうものを」(エレミヤ9:1)。彼は自分の魂の痛みゆえに泣こうとしました。エレミヤの語ることばは、泣くことは魂の痛みに癒しをもたらすことを示しています。家族や地域社会、あるいは国のことで心を痛める時、その悲しみを溜め込まずに表現するなら、前向きになって人の役に立つことができます。
ネヘミヤがしたことも、これと同じでした。エルサレムの惨状を耳にした時、彼は泣き、何日も嘆き、断食し、祈り、ついには王が彼の深い悲しみの表情に気がつくまでになりました。しかし、この嘆きの期間が終わった後、ネヘミヤは行動を始め、2,500年を経た今も、そのすばらしい指導力が偉大な模範として語り継がれる国家的英雄となったのです。
聖書の中で、人々はいろいろな方法で嘆きを表しています。断食(Ⅱサムエル1:12)、荒布をまとう(創世記37:34、Ⅱサムエル3:31)、灰をかぶる(エステル4:1-3、エレミヤ6:26、25:34)などです。私たちは嘆きを表すのに、自分自身の文化においてふさわしい表現を見つける必要があります。家族や教会、地域社会、あるいは国全体が悲劇に見舞われたとき、断食して祈るのは望ましいことだと言えるでしょう。一方、スリランカでは津波のあと、嘆きを表すのに白旗を掲げました。それぞれの文化は、悲しみを表すのに独自の表現方法を持っています。
スリランカに初めてプロテスタントを伝えたのは、西ヨーロッパの宣教師たちです。歴史的に見て、この宣教師たちは人前で感情をあらわにすることはありませんでした。そのため、今でもスリランカでは、私たちプロテスタントのクリスチャンは嘆きを表向きに表すという習慣がありません。しかしスリランカでも、ポルトガルから最初の宣教師たちが来たローマカトリックの人たちは違います。彼らのお葬式は、まるで聖書に出てくるドルカスが亡くなった場面のようです。「やもめたちはみな泣きながら、彼(ペテロ)のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった」(使徒9:39)。プロテスタントである私たちも、聖書的な理解に沿いつつ、私たちの慣習に合う嘆きの表現方法について真剣に考える必要があります。
2004年12月26日、著者アジス・フェルナンド師の愛する母国スリランカを大津波が襲い、壊滅的な被害を与えました。この小冊子は、神を愛する一市民としての彼の考えをまとめたものです。自然災害などの渦中にいる方、支援に携わる方、そして惨状を覚えて心騒がせているすべての方の助けとなれば幸いです。「私はこの文章を、津波の数日後に書いています。……このような状況になると私たちは、聖書の中に励ましと導きを見つけようとします。そして聖書が、私たちに多くのことを語りかけていることを見出します。この小冊子は、スリランカのクリスチャンたちが今、何をすべきか、ということを聖書に基づいて私なりに考えてまとめたものです。さらに原文を改訂し、津波に限らずどのような惨事に直面している人にも役立つようにと考慮しました。」(本文より)