ハンナ・ヨー:マレーシア初の女性州議会議長

ジャニス・タイ、シンガポール

キリスト教徒の華人はマレーシアでは少数です。しかし、ハンナ・ヨーは、2013年、34歳の時、最年少でマレーシア初の女性州議会議長になりました。

スバン・ジャヤの議員として10年、うち5年をセランゴール州議会議長として政治に携わりました。その間、神の誠実な御手が今日まで導いてくださるのを、ハンナは目にしてきました。

元弁護士の思いがけない政界への進出は、劇的な愛の物語から始まりました。

2007年1月、夕飯を共にしていた友人の牧師は、「君は6月に結婚のプロポーズをされるよ」と言ってハンナを驚かせました。

「当時は信じ難い話でした。私には交際している男性はいませんでしたから。5月になっても、そんな男性はいませんでした」とハンナは語ります。

イベント会社を経営する父親と友人を手伝ったり、教会で奉仕したりしながら、ハンナはいつも通りの生活を続けていました。その頃には、弁護士の仕事は辞めていました。

6月、ハンナは、教会スタッフとして新しい信徒の世話を担当していました。そして、初めて礼拝メッセージを語りました。彼女は知りませんでしたが、同じ教会に通うITエンジニアのラマチャンドラン・ムニアンディは、会衆の中に座って、うっとりと聞き入っていました。

彼の目はハンナにくぎ付けになりました。それまでの数か月、未来の妻が教会で説教をすると神に語られていたからです。

当時、ラマチャンドランとハンナはすでに友人でした。しかし、それ以降、彼は彼女を違う目で見るようになりました。彼は人生の次の段階について祈ってほしいとハンナに言い、同じ月に結婚を申し込みました。ハンナは祈り、10日後に承諾しました。牧師が言ったとおりになりました。しかし神は、ふたりのために、さらに大きな計画をお持ちだったのです。

ハンナは当時エドワード・リングとふたりでセルグループのリーダーをしていました。エドワードは、政治に高い関心を持っていて、政治が変化を起こす役割を果たすと信じていました。

対照的に、ハンナは政治に対する興味も知識もありませんでした。有権者登録さえしていなかったのです。しかし、エドワードを支援したかったので、野党の民主行動党(DAP)にエドワードと一緒に加わりました。

一方、ハンナと婚約者のラマチャンドランは、1月に結婚するのがみこころだと感じました。ふたりは、急ぐ理由が理解できませんでしたが、神に従おうと思って、2008年の1月5日に結婚しました。

マレーシア初の女性州議会議長に就任

短い交際期間で結婚することになった理由は、すぐに明らかになりました。1か月後に選挙が告示され、DAPはスバン・ジャヤの議席獲得を目指してハンナを候補者に擁立したのです。党はハンナならスバン・ジャヤの若年層や中間層に支持されると信じていました。エドワードはハンナの選挙運動本部長になりました。

「政治的な野心はなかったので、驚きました。選挙運動の間、集会で演説する用意ができていなかったのですが、神は、共に祈り、支えてくれる夫を与えてくださいました」とハンナは語ります。

対立候補は経験豊富な女性政治家でした。彼女が政界での経験を列挙した冊子を配って選挙運動をする一方、ハンナには証明写真が印刷されたチラシしかありませんでした。彼女には、物心両面で支えが必要でした。 

若くて、政治経験のない彼女を馬鹿にする人が多くいましたが、ハンナは忍耐して、若さを強みにしました。「政治未経験イコール汚職未経験」というキャッチフレーズまで考え出しました。集会では、若者を招いて、国に対する考えや展望を語ってもらいました。

彼女は貯金をはたいても選挙運動のために700リンギット(約19,000円)しか出せませんでしたが、支援者と友人らは、彼女の選挙を支援するために10万リンギットも調達してくれました。2008年、彼女は71%という圧倒的な得票率で議席を勝ち取りました。弱冠29歳でした。2013年には再選され、56人の州議会議員の中で、その年の審議の議長に就任しました。

この栄誉を心から喜び感謝していましたが、ハンナにとって、選挙後の生活は寂しいものでした。同世代の若者は、仕事を終えると自由にプライベートを過ごします。一方で、彼女の週末は地域のイベントなどの公務で埋まっていました。

「神が私をこの道へ導かれたので、私は従いました。でも説教者になりたいという夢からは遠く離れたと感じて落胆していました」と彼女は語ります。

セランゴール州議会、野党からの質問時間の導入、記者会見

政界での躍進

しかし、ハンナはマレーシアで公正と誠実のために戦うという、より大きな舞台が与えられたと信じ、忍耐しました。汚職や人種差別的な政策に真っ向から立ち向かう党の姿勢にも彼女は共感していました。

ハンナの党はセランゴール州では与党でしたが、過去5年間、ハンナは州議会における野党の役割を強化して、権力を抑制し、均衡を保つように推し進めました。例えば、州議会の審議の散会や延会の前には、党代表による「野党からの質問時間」を導入しました。また、野党の代表が、州政府の出費を監査する公認会計委員会の代表を務めるという改革も実現まで見届けました。

マレーシアでは、人種と宗教と政治が密接に関わっているのが一般的です。しかし、ハンナは、自分と信仰を同じくするクリスチャンだけに便宜を図るのではなく、公正な土地の分配法の制定を求めました。任期中、別の信仰を持つ人々の礼拝場所の確保を助ける等、選挙区内のさまざまな関係者の代理人となりました。彼らが、ハンナに代弁する権限を任せてくれたからです。

同時に、自分の信仰についても、包み隠さず熱心に語り続けました。3年前には、「ハンナになるまで」を出版しました。彼女の人生に働く神の御手をたどった自伝です。

ハンナを中傷する人は、その本を取り上げて宗教が違う人どうしの対立感情をあおり立てようとしました。昨年の5月、ある大学の講師は、ハンナに対する被害届を警察に提出しました。その内容は、ハンナが自伝を利用してキリスト教に改心させようと「人を口車に乗せて、感化し、扇動している」というものでした。インドネシアの有名なクリスチャンの政治家で、当時現職のジャカルタ州知事だったバスキ氏が、コーランに関して言及したことで禁錮2年の判決を受けたすぐ後のことでした。

ハンナは事情聴取を受けましたが、起訴には至りませんでした。「私に敵対する人は、特にインターネット上で、たいてい宗教を利用して攻撃してくるんです。根も葉もない言いがかりに対しては、すぐに事実を明確にしています。攻撃材料を与えないように、不正に関与しないことで対応することを学びました」とハンナは語ります。

委員会の運営をしたり、外交上の視察を主催したり、議長としての激務を毎日こなしながらも、ハンナは家庭を切り盛りしています。毎晩、4歳と6歳のふたりの娘を寝かしつける前に、今は牧師となった夫と交代で一緒に祈っています。

政界に長く留まるつもりか尋ねたところ、「先のことはわかりませんが、一日一日に、そしてひとつひとつの選挙に、一生懸命取り組みます」と彼女は答えます。彼女の願いは、神が意図される以上には、1日たりとも政界に留まらないことです。今のところ、少なくとも次の選挙には出馬するのがみこころだとハンナは考えています。

「希望を失わないでください。神はあなたの人生に計画と目的を持っておられるのですから。」これは、ハンナが若者たちに贈る言葉です。

「マレーシアの政界で汚職に関わらないでいることは不可能だ、組織に飲み込まれるだろうと人に言われました。でもネヘミヤは、荒れ果てて、廃墟となった城壁を再建しようとしました。神に信頼し、期待する時、どんなことも可能です」とハンナは語ります。

2017年5月、議長会議 マレーシア、セランゴール州、シャーアラム

写真提供:ハンナ・ヨー
この文章は、YMI記事より翻訳されたものです。

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