キリストにあるアイデンティティ

あらゆる名にまさる名

マンスリートピック
知識 | 2025年10月のトピック

メキシコから家族で移民してきた後、両親は家でもめったにスペイン語を話しませんでした。私がアメリカになじめるようになるためです。学校では英語風の通名を名乗りました。私はアメリカ風に疲れて、18歳になると、本名で州の身分証明書を申請しました。忘れかけていた自分のルーツを取り戻したかったのです。

その10年後、出生証明書の写しを請求した私は、届いた書類を見て大慌てしました。「役所が私の名前のつづりを間違えてる!」「違うわ、間違ったのはあなたよ」と母。「当時、何か考えがあって、わざとそうしたと思っていたわ」と言いました。この話でお分かりのように、現代の北米では名前に対する思い入れやこだわりは比較的少ないと言えます。

一方、聖書の時代、名前は人の性格や受け継いだもの、その人そのものを定義する役割を果たしました。

使徒ヨハネはイエスを「言(ことば)」と紹介し、その名を信じる者はみな「神の子となる資格」を与えられると述べました(ヨハネ1:1、12)。良い牧者であるイエスは「自分の羊の名を呼んで」(10:3)、親しい関係を示されます。

神は、民族・人種・性格といった私たちの独自性を設計されました。同時に、神の子である私たちの本国は、天の御国です(フィリピ3:20)。ですから、〇〇らしくとか、居場所を求めて自分を変える必要はありません。キリストの名はあらゆる名にまさる名です(2:9)。そして、このお方の約束は全て、私たちのものです。

デイリーブレッド寄稿者Xochitl Dixon

人間には「自分は誰なのか」「何のために存在するのか」という普遍的な問いがあります。10月は、キリストにあるアイデンティティを知ることに注目しました。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 闇からの救出
8日 イエスの働き
15日 キリストの光の中を歩む
22日 神は尊重してくださる