キリストにあるアイデンティティ

すべての名にまさる名

マンスリートピック
知識 | 2021年10月のトピック

メキシコ系移民一世の私がアメリカ人らしくなるようにと、両親は家でスペイン語をめったに話さず、学校の書類も英語風の名前で提出しました。周囲になじむのに疲れた私は、本当の自分を取り戻そうと、18歳のとき、本名で州の身分証明書を申請しました。その10年後、出生証明書の写しを見て、名前のつづりが間違っていると大騒ぎしました。すると母は、「あなたがそう書いたのよ。わざとだと思っていたわ」と当時を振り返りました。

聖書の時代、名前は人の性格や受け継いだもの、その人そのものを定義する役割を果たしました。預言者イザヤがメシヤの名をインマヌエル(「神は私たちとともにおられる」)と告げたのは、神の来臨によって神が常に近くにご臨在くださるという宣言です(イザヤ7:14)。メシヤは「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」(9:6)と呼ばれます。その名は、神のご性質を明かし、賛美、信頼、愛を受けるべきお方であると示します。使徒ヨハネはイエスを「ことば」と紹介し、その名を信じる者に「神の子どもとされる特権」が与えられると述べました(ヨハネ1:1、12)。良い牧者であるイエスは「自分の羊をその名で呼んで」(10:3)、親しい関係を示されます。

神は、民族・人種・性格といった私たちの独自性を設計されました。しかし、神の子である私たちの国籍は天にあります(ピリピ3:20)。ですから、〇〇らしくなければ、周囲になじまなければ、と気負う必要はありません。キリストの名はすべての名にまさる名です(2:9)。そして、このお方にあるすべての約束は私たちのものです。

デイリーブレッド寄稿者Xochitl Dixon