礼拝がもたらす恵み
ウェストミンスター小教理問答は、「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶこと」と述べます。「神の栄光をあらわす」とは神を崇め、神に自らをささげることです。使徒パウロも、それがなすべき礼拝だと語っています(ローマ12:1)。このように神を礼拝すると、以下のような恩恵を体験し、「永遠に神を喜ぶ」ようになります。
赦し:真心で礼拝する人は、神が聖なるお方であると認め、神の赦(ゆる)しを受け入れます(ローマ5:1、 Ⅰヨハネ1:9)。礼拝をとおして人はきよめられます。
導き:神を尊ぶ人には知恵が与えられ、日々神の導きを受けます(詩編25:4–12、箴言1:7、 3:5–6)。
備え:神を第一として生きるならば、神が物質的なニーズを満たしてくださる、とイエスは言われました(マタイ6:33、詩編23編、 37:3–6も参照)。
愛:心からの礼拝をささげる人は、神の愛を体験します(詩編63:4、ヨハネ14:21、23、ローマ5:5)。
力:神に全ての栄光を帰す人には、神の望まれることをなす力が与えられます(Ⅱコリント12:7–10、エフェソ3:14–21、フィリピ4:13)。
守り:主を認める人に、主は絶えず目を注ぎ、刻々と変化する状況で守ってくださいます(詩編5:11–12、Ⅰペトロ1:5)。
栄光:真の礼拝者はいつの日か栄光の体を頂きます。新しい天と新しい地を受け継ぎ、信者と御使いが共にささげる終わりなき完全な礼拝に加わります(Ⅱペトロ3:13、 Ⅰヨハネ3:2、黙示録19:1–10)。
礼拝と聞くと、教会に集まったり賛美歌を歌ったりすることをまず思い浮かべる人は少なくないでしょう。しかし、神を礼拝するとは、それよりはるかに深く広い体験です。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 大群衆
8日 絶え間ない賛美
15日 御言葉を歌う
22日 唯一無二の宝物