愛という性質を育む

愛のうちに生きる

マンスリートピック
品性 | 2022年2月のトピック

愛する、愛されるとは一体何でしょう。私たちは必要以上に複雑に考え、自分も相手もどう感じているかを読みすぎて、愛が感情主導ではないことを忘れがちです。愛するとは、この世での生き方、存在の仕方です。人は意志の力や心がけによって愛し方を学びません。愛し愛される経験を通して愛を知り、愛のある生き方を学びます。

ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』の中に、私の好きなシーンがあります。主人公テヴィエは、何十年も前に見合い結婚した妻ゴールデに、「愛しているかい?」と突然尋ねます。「 何ですって?」と驚くゴールデ。そこから長いやりとりが始まり、最終的には、25 年間も生活に子育てに二人三脚で頑張ってきて、それが愛でないはずがない、という結論に至ります。そして、ずっと愛されていたのだと気付いて二人で幸せな気分に浸る、というシーンです。

そのシーンは、愛されていることに気付く喜びと、共に生きる中で愛が育まれるという理解を美しく描いています。誰かに寄り添い、その人のために生きるなら、愛しているという自覚はなくても、確かにそこには愛があります。

それは、パウロが「愛のうちに」と呼ぶ献身的な愛です(エペソ5:2、Ⅰコリント14:1)。愛のうちに生きる道は、私たちがずっと愛されてきたことに気付くところから始まります。キリストの犠牲が、その道を永遠に確立し、そこからすべてが変わりました。

使徒パウロは、クリスチャンの共生についてキリスト者のコミュニティーに教えました。その際、まずキリストにある神のあわれみと愛を思い起こさせることから始めました。あなたたちはずっと愛されてきた、と彼らに改めて伝えるのです(エペソ5:1-2)。私たちは、愛することも愛されることも簡単に忘れてしまう子どものようです。ですから聖書は、キリストという贈り物が愛の神について示したことを繰り返し思い出すようにと促します。また、クリスチャン同士が一緒にそうすることを勧めます。

結婚式でよく読まれるコリント人への手紙第一13 章には、麗しい愛の描写があります。ここで忘れないでほしいのは、この手紙がもともと信者のコミュニティーに向けられたものだったことです。ここで呼びかけるような愛を育むべき対象は、配偶者という限定された相手ではなく、共に生きる信者の交わり全体でした。皆で一つのからだとなるようにされていたからです(12:13)。

愛は贈り物であると同時に生き方でもあります。神に愛されているという経験を持つ者同士のコミュニティーが、旅の良き道連れとなって共に歩むための贈り物であり、ライフスタイルです。そこを土台にするなら、妬み、怒り、自分勝手、保身といった負の動機に支配されなくなるでしょう(エペソ4:31)。そのような生き方は、自分で自分を守らなくてはならないと考えていた時の自衛手段でした。愛されていることを知る前の生き方です。

私たちが「愛に根ざし、愛に基礎を置いている」とき、心も体もこの「人知をはるかに越えたキリストの愛」で満たされているとき(3:17–19)、なぜ愛こそが「さらにまさる道」であり(Ⅰコリント12:31)、それ以上に大切なものはない(13:3)のかをようやく理解するでしょう。

そうすれば、救い主が開いてくださった愛のうちに生きる道という恵みと自由を喜んで選ぶことができます。

モニカ・ラ・ローズ、デイリーブレッド寄稿者

どうすれば心から人を愛せるのでしょう。今月は、愛に満ちたイエスのご性質を体験することと、人との関わりの中でその愛を示すことに注目しました。このトピックは、2 月1、8、15、22 日でも取り上げています。